癌ステージⅣを5年生きて 8

散骨の風ディレクター KYOKO

夫が大腸癌に

小豆島の暮らしは、新世界の楽しさとリタイアの経済的不安を少し持ちながら、日々自由な時間を満喫していた。好奇心の強い私は、新しい発見を求めて、オリーブ染め体験やスペイン舞踊教室にも顔を出し、島での話にはきりがない。また、追い追いと書くつもりだが、夫の大腸癌発見の話に入る。

真冬のヨット回航以来、夫は体の調子が今一つのようだった。新生活に一生懸命だった私は、それに気が付かなかった。お互いに年のせいだと考えていた。元々夫は、胃と腸が悪い。サバの刺身でアニサキスに刺されて死にそうに苦しみ、救急車で病院に運ばれた事を始め、胃潰瘍で入院、胆石の手術では膵臓を傷付けられ、1か月水と点滴で絶食だった入院もあった。救急車には申し訳なかったが、メバルの背びれに指を刺され、運ばれた事もある。その時は、どうしたら良いか119に聞こうとして電話をしたら、住所を聞かれ、すぐに家まで来てくれたのだ。今度は大腸癌である。

その前に怪我自慢

元クライマーの夫は、結婚前は怪我で入院が絶えなかった。知り合った頃には、いろいろな傷跡を見せられ、その時の話を聞かされた。癌になるまでは、昔の山仲間と会えばすぐに、これは谷川岳のやつ、これは奥穂高だと怪我自慢が始まった。

夫は北海道の生まれだから、子供の頃からスキーを履いていた。自衛隊に居た時は、バイヤスロンのチームにもいて、準指導者の資格も取っていた。それで彼が八方尾根にスキーパトロールのアルバイトに来て、レストハウスのバイトの私と会った。彼はスキーでも何度か足を折っている。それに毎日怪我人を橇で運んでいたから、スキーは危ないと言い、私の運動神経の鈍さも見抜き、2,3回しか教えてくれなかった。

山の遭難

山では、谷川岳で2度怪我をしている。最初はパートナーと2人で芝倉沢の沢登りを楽しんでいた時、濡れた苔で手を滑らせ、岩を抱く形で顔をぶつけた。鼻の骨を折り、前歯を4本折って血だらけになった。それなのに膨れ上がった顔のまま友だちと汽車に乗って上野に帰って来たそうだ。パートナーからは漫画のアシュラだと笑われ、汽車の中でも皆に笑われたと言う。その怪我は医科歯科大病院で、保険で治したので、鼻は高く成らず、普通の入れ歯になった。

2回目は、一の倉沢の壁に山の会の仲間と、3人位ずつ分かれて登っている時だった。小さい足場から40m落ちて岩の上に背中から落ちた。肘と肩の骨を折り、腰椎の横突起を数本折った。それでも背中にリュックを背負っていたから良かったのだ。落ちて行く間にそれまでの一生を見たらしい。正に走馬灯の如く、お母さんから生まれ、お父さんに買って貰った赤い自転車で転んで膝をぶつけた事、小学校、中学校、失恋した事、登った山々、次々に22年の出来事が出て来たそうだ。肩の骨は、身体から飛び出していて、そのまま山の先輩に代わる代わる背負われて、麓の駐車場まで下してもらった。下る途中、「痛い痛い」と呻くと日頃から馬力と体力溢れるO先輩からは、うるさいと口の中にパンを突っ込まれた。そしてO先輩の汚い4tトラックの荷台に何人かの仲間と乗せられ、幌を掛けてお茶の水の日大病院まで運ばれた。治療中は、日大病院に入院していたが、一生車椅子になるかも知れないと言われ、北海道登別の温泉のある病院に転院した。そこで頑張って半年ほどリハビリを続けると、だんだんに歩けるようになった。背負って下ろしてくれたO先輩とN先輩には未だに頭が上がらない。

そんな大怪我をしたのに本人は全然懲りず、相変わらず難しい壁を目指して訓練していた。八方尾根に来たのも冬の不帰かえらずの壁を登るためである。その冬、谷川岳で沢山の仲間が雪崩に会い、遭難した。尊敬するKさんもいた。年明けた連休にも友だちが2人穂高で遭難した。

結婚してしばらくしてから、彼は山を止め、今度はヨットに狂いだした。ヨットの方が安全だという訳だ。そして友だちも1人を残し、次々とヨットに転向しだした。

前の記事次回に続く