癌ステージⅣを5年生きて 9

散骨の風ディレクター KYOKO

ヨットの回航

清水で越冬したヨットは、4月の初めに、いろいろ世話に成った人々に見送られて舫(もやい)を解いた。最初の時に乗った友だちと二人で5日掛けて、マンションの坂下にある漁港に着いた。途中、鳴門海峡では、潮止まりの時間を間違え、あの大渦潮に少し翻弄され、丁度いた観光船のいい見世物になったらしい。

とにかくヘトヘトの2人を港に迎え入れ、一先ず落ち着く。新しい泊地は鄙(ひな)びた小さな漁港だが、比較的水も綺麗でしっかりとした桟橋が有り、ヨット「オンディーヌ7」夫の宝物が置けるという事は本当に嬉しかった。幸い島には大きくはないが、有名な良い造船場がある。次の日クルーを港まで送り、回航中に問題が出た箇所を直す相談のため、島の逆岡山側にある岡崎造船まで車で行った。そこの社長は本当に頼りになる良い人で、船の事ではいつも大変お世話に成った。

大腸検査

船が着いて1週間もしない内に、夫の具合が悪くなった。そこで、すでに掛かりつけ医として血圧の薬などを頂いていた平井クリニックに診て貰いに行った。平井院長は島の出身で、京都大学医学部を出て、大阪の病院で副院長を務めた後退職し、好きな故郷の島で開業をした。夫と同い年だから、若いとは言えないが、話しやすく信頼出来そうだった。そしてその時は、血液やレントゲン等そこで出来る検査をしてもらい、血液検査の結果を待つ事になった。夫は回航の時から、時々調子が悪かったと言う。クリニックでの検査の結果は悪性貧血のようだったが、はっきりしないので、高松の県立中央病院で診て貰う事になり、すぐに予約を入れてくれた。

早朝、坂道を下りてバスに乗り、池田港からキリンさんのフェリーに乗って、高松のフェリー乗り場で下船、そこから高松駅まで数分歩き、またバスに乗り病院に着いた。ここは新しくて大きい立派な病院だ。受付で紹介状を出して、しばらく待たされ、診察を受ける。エコーや心電図、CT等すぐに出来る検査を受け、大腸がんの可能性が有るため、4日後大腸検査をする事になった。その前日の晩はおかゆのみ許され、寝る前に下剤を飲む。病院では2リットルの下剤を2時間掛けて飲み、腸が空っぽになるまで何度もトイレに通う。自衛隊では肛門検査をされたそうだが、大腸検査は初めてで、これ以後は、今に至っても年に一度5月にしている。20分位の検査なのだが、内視鏡の管を腸の形に沿って奥まで入れられるのは、所々ちょっとした痛みも有って、やはり嫌なものだ。画像を見ながらの検査だが、結果は採った腫瘍のサンプルと画像フィルムを何人かの医師で見て判断してから出される。

グルメ登場

結果が出るまでの間に、知り合いのヨットが東京から小豆島にやって来た。ヨットの名前に「フォアグラ」と名付けるほどの美食家で、レストランのシェフにも文句を言い、ワインは年代物を揃えて温度管理の保管庫で眠らせている。彼は現役時代に、ボジョレヌーボーを小さい樽で直輸入し、毎年解禁日の前日には、彼の会社でパーティを開いて楽しんでいた。その彼が急にお酒持参で来ると言う。私は大いにあせった。料理を作るのは嫌いではないが上手くはない。結婚しても主婦では無かったから、何十年も気が向いた時にしか作っていない。気の利いたレストランが島に有ろうはずもなく、悩んだ挙句メインディッシュは、馴染みの魚屋さんに頼んで、新鮮な魚の刺身盛り合わせを大皿で持って来てもらった。でも、久しぶりの宴会は盛り上がり、私も酔っぱらって楽しかった。

太宰治の短編に「饗応夫人」という佳作がある。戦争未亡人の家に夫の戦友が現れ、いつもただ酒を目当てに来るのだが、そのたびに夫人はオロオロし、次から次へとご馳走を出してもてなすという話だ。うちにお客が来ても夫は全然気を使わない人だから、いつも私がオロオロし、後は何を出せば良いか、何か気の利いた肴は無かったかと気を使う。だから夫は私の事を饗応夫人と言う。散骨の仕事でもそうなのだが、出来るだけの事をしないと気が済まない性質(たち)なのだ。

それでも今回は、「フォアグラ」さんに、「今度、醤油の美味しいのを送ってあげましょう。」と言われてしまった。

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