癌ステージⅣを5年生きて 11

散骨の風ディレクター KYOKO

私は、今日疲れている。昨日、美容院と歯医者さんに行き、買物をして帰っただけだが、妙に疲れた。いつも疲れやすいのだが、ご飯を食べて、寝ればすぐ元気になる。ならないと「あぁ、もう駄目だぁ」と思うのだが、やはり、ご飯はエネルギーが出て頑張れる。ドリンクも「元気一発!」と効く。

手術の後で

さて、手術後の主人の元気な顔を見て、病院前から高松行のバスに乗る。座席に座ってしばらくすると、ケイタイが鳴った。主人からだ。私は小声で電話に出る。「あのう、僕の日記の表紙裏に30万円隠してある。」と言う。「えっ」と言うと「ヘソクリで内緒にしていたんだけど、死ぬかも知れないから」と言う。私は「分かったと言い」バスの中なので一旦電話を切る。高松について病院に電話をすると「痛み止めで朦朧としているだけで大丈夫ですよ」と言うので、私は猫たちも心配で小豆島行きのフェリーに乗った。

あくる日も夫の痛みが全然治まらないので、痛み止めの量を増やしてもらった。どうやら麻酔科の先生が、薬の量を間違えていたようだ。O先生は手術の結果、リンパにも転移が認められたが、ステージⅢのaだと言う。bよりa、少しでも軽い方が良い。生存率では17%も良くなる。そして抗がん剤を飲むことに決まった。普通は病院に通い、点滴投与をするが、うちはフェリーに乗って来る事情もあるので在宅投与にしてくれたのだ。

てこづる感染症

術後10日目で退院できたのは順調だったという事だが、退院して2日目手術跡が腫れて来た。そして翌朝、高熱と悪寒に襲われ、悠長に波を切るフェリーの速度にイライラし、ようやく病院に着くとすぐに入院させられた。感染症の疑いで、すぐにお腹を開けて膿を出す。

一般的に感染症は恐れられていたが、これほど酷いとは思わなかった。入院中、食欲は有るようなので、三越高松店でお弁当やお菓子を買って行き差し入れする。入院中の彼の楽しみは、食べる事と新聞を読むこと。そして窓から見えるテニスコートのテニスを楽しんでいる若い人たち。新聞を読むのは、学生の頃からの彼の日課で、長年「朝日新聞」を購読していたが、何年か前からそれが嫌いになり、「日本経済新聞」に変え、かなり気に入っている。欠かさず隅々まで新聞を読んでいるから、社会的な問題に強く、時事問題やニュースに強い関心を持って、私は気楽だ。社会問題は彼に任せ、私は心理や精神面に没頭できる。

お腹の膿は取っても取ってもジュクジュクと出てきて、毎日ガーゼを変えた。それは治らず、シャワーだけの日々が、それから2年以上も続き、一生お風呂には入れないのかも知れないと、一時は絶望的にもなっていた。

抗がん剤で痩せる

抗がん剤もきつかった。吐き気と下痢を繰り返し、体重はどんどん減った。その間にも散骨の仕事が来て、東京から応援を頼んだり、プロデュースを依頼されているヴェラシスマリーナのジャズフェスティバルの為に東京に行ったりと、のんびり休養する暇はあまりなかった。真夏のジャズフェスティバルは、浦賀にヨットを置いていた頃、ニューポートのジャズフェスティバルに憧れて、私たちが始めた。その頃の船にピアノが積んであったこともあり、最初は船の上にドラムや楽器を乗せてプロのミュージシャンを呼び、来客は桟橋に座り、足を水に浸しながらビールやワインを楽しみ、リラックスして聴いていた。それが知り合いの有名イタリアンレストランも参加して、食事やワインが豪勢になり、食べ放題飲み放題で年々参加者が増えた。最終的には300人位の大パーティになり、10年位盛況に続いた。私たちがリタイアしてからは、マリーナが主催し今年も夏に行われる。

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