癌ステージⅣを5年生きて 12

散骨の風ディレクター KYOKO

友だちの大腸癌 1

私たちの友だちにも大腸癌で亡くなった人がいる。もう25年位前になるだろうか。マンハッタンで宝石デザイナーをしている沖縄出身のK氏のパートナーJさんだ。彼はメトロポリタン歌劇場で企画などを担当していたコネチカット出身のアメリカ人だ。私がオペラを好きになったのは、大いに彼のお陰である。あの頃、もっと英語が堪能だったら、いろいろなオペラの話を聞かせて貰えて楽しかったと思うのと、下手でもいいからどんどん話せば良かったのだと自分の臆病に悔やまれる。いつもそのシーズンお勧めの出し物等を聞いては、良い席を取って貰った。知り合った最初のクリスマスには、彼のお母さんのいるコネチカットにも招待してくれた。グランドセントラル駅から汽車に乗り北へ1時間、雪景色の森が広がるその町外れの散策は、アラスカでもカリフォルニアでもフロリダでもないアメリカの新しい発見の良い旅だった。予約をしてくれた小さなレストランへクリスマスディナーを食べに、彼のお母さんと5人で行くと、レストランのオーナーは「日本人は初めてよ」と言った。この地域も含め北東の海側では、白人以外にほとんど会わなかったような気がする。

彼が大腸癌になった時、まだ50歳前だと思ったが、1年位で亡くなってしまった。肉食が普通のアメリカでは、大腸癌が多いと聞いていて、やはりと思ったが、私たちが同じ様になるなんて思ってもみなかった。パートナーのK氏から電話が有り、「ウォシュレットが有れば良いのにねぇ」と言っていたので、携帯用ウォシュレットを送ったが、それしか出来なかった。ニューヨークが大好きであまり旅をしなかったのは、彼がMETを愛し、その側を離れたくなかったからだと思う。「椿姫」のDVDを観ながら第2幕のヴィオレッタのアリアに二人で泣いたのが懐かしい。

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