癌ステージⅣを5年生きて 62

散骨の風ディレクター KYOKO

夫の日記

夫はA型で私はO型だ。夫はだらしがない癖に、几帳面な所がある。今も付けている日記は、もう35年位になるだろうか。A4の片側に1週間分書けるようになっている。1日5行位だが、決して欠かさない。内容は仕事の事が主で、後は3食何を食べたかだ。最近は必ず、「昨日の夕食は何だっけ」と聞くようになった。夫に秘密がない訳では無いが、日記帳はいつでも読めるように置いてあり、開(ひら)いてあったりする。私は3日坊主で続かない。今、毎日書いているのは、奇跡の様だ。今までは感情の起伏で、絶望した時とか、嬉しかった時とか長々と書いていた。夫はそういう事は書かない。ただ時々、「京子さん不機嫌」とか書いてあったりする。

これを書き始めてから、日にちの確認など、いつ頃だったかを知るのに借りて、じっくり見ている。書きなぐりなので読むのに苦労してうんざりもする。でも、実に良く働いていて本当に嵐の日位しか休日がない。この仕事は船に乗る以外にもやる事は山ほどある。私は専ら事務仕事と音楽や花の担当をしている。以前はお客様の所にも行っていたが、病気になって、人と話すのが辛くなり、電話にも出ない。この日記を見ていると今までやって来たいろいろな散骨を思い出す。概して言えるのは、とても良い方が多いということだ。散骨をする人に悪い人はいないと言えそうなくらいで、いつも感謝されていて恐縮する。

超豪華な散骨

世の中には私たちには縁が無いような桁違いの富裕層がいる。とても普段会う事は無い。そんな人から仕事が来ると慌てる。だからと言って、当たり前の事だが、特別扱いする訳でなし、卑屈になったり遜(へりくだ)ったりはしない。ただ、少し緊張はする。夫は恰幅が良いし、髭を生やしているから偉そうに見え、そんな時は得だ。

だいたい秘書の人が様子を見に来る。それで合格なら、お宅へ呼ばれる。やはり凄い場所に豪邸が建っている。玄関ホールが広くエレベーターがある。中には自家用ジェット機を持っていて、それに乗ってイタリアで仕事をしている息子さんに会いに行くという方もいた。その方は夫と年も近く、話も合い心が通じたようだった。亡くなった奥様のご遺灰は、ヘリコプターで相模湾に散骨された。ヘリコプターはエンジン音が大きいので、直接の話は出来ない。そして普通は3人しか乗れない。窓も一瞬しか開けられないので、水溶紙に包んだご遺灰を下へ落とし、小さい花束をいくつか落とすだけで、あっと言う間に終わる。私は船の方が余韻があって、良いのになぁと思うが、故人が船に弱かったからだそうだ。後日、あるホテルで盛大な偲ぶ会が行われ、私たちも呼ばれた。会費制では無かったと思うが、何を持って行ったのかは覚えていない。入口を入った壁には奥様との共通の趣味だったらしく、クラシックカーやスーパーカーの前で立っている美しい故人の写真が何枚も飾られていた。立食パーティだったので、私たちは食べるだけ食べ、挨拶をして帰った。各界の著名人が来ていたのだと思うが、私たちに分かったのは、女優の鈴木京香さんだけだった。斜めに被った帽子に白いスーツ、やはり美人は目立つ。

それから何年かして、奥様の可愛がっていたゴールデンリトリバーが死んだ。旦那様は乗らず、息子さんとその奥様が乗り、やはり同じようにヘリコプターで同じ場所に散骨した。ワンちゃんも費用は同じである。

船の上のパーティ

もうひと方は不動産王で、ご子息を亡くされていた。息子さんの死は辛く、お母様は本当にお痛みのようで、連絡はすべて秘書の方を通してだった。東京湾の150人乗りの西洋屋形船を使って、ディズニーランド沖での散骨だったが、ご遺骨の粉末化以外はすべて秘書の方が用意なさった。乗られた方は20人位だったが、ゴディバのチョコレートとシャンパンがふんだんに有り、真っ赤なバラの花(茎を除いた物)も山のように積まれ、贅沢な散骨であったが、濁った水が残念だった。

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