癌ステージⅣを5年生きて 76

散骨の風ディレクター KYOKO

機内の事件

ニューヨークから、世界一周の残りのチケットで、ロンドン経由でドイツへ行こうとした。それがJFKを飛び立って、1時間半位した所で、突然、機内アナウンスが入り、ドクターを探していた。そしてその後、飛行機はニューヨークへ引き返す事になった。どなたか亡くなったらしい。お気の毒な事だが、何があったのかは分からない。自由の女神が見え、飛行場に着くと黒いボディバッグに入った遺体が私たちの脇を通り、下ろされて行った。映画などでよく見るボディバッグだが、直接見るのは初めてだった。コロナでは、一時大分使われていたが。私たちも全員下ろされ、最終便の後に出発することが決まった。私たちはJFKで5時間位待たされたが、出発ロビーなので、広い免税店などのウィンドショッピングも出来なかった。

飛行機は真夜中に飛び立ち、時差があるのでお昼過ぎにロンドンに着いた。私たちはそのまま乗り換え、フランクフルトまで行った。

ツアーではないので、英語の手続きはやはり大変だ。ましてルフトハンザには、日本人キャビンアテンダントが居ないことが多い。でも、ビジネスクラスなのに、ディナーに手違いが有り、シャンパンを1瓶貰った。

期待無きドイツの旅

<ドイツに行きたいと思った事はない。音楽や文学は好きだが、他のドイツ文化に興味が無かった。まして、ビールもダメ、ドイツワインはちょっと、ドイツ料理も好まない。ルフトハンザなので仕方なく来たが、目的がない。それでロマンチック街道でも行こうと言う事になり、フランクフルトに1泊し、ミュンヘンまで飛んだ。ミュンヘンと言えば、悲劇のオリンピックがあったが、古い人間の私には「ミュンヘン、サッポロ、ミルウォーキー」と言うビールの産地のコマーシャルで親しんでいた。笑い話だが、幼児の頃、「原っぱ、広っぱ、ヨーロッパ」と言って遊んでいたが、ヨーロッパは広い野原の事だとばかり思っていた。ヨーロッパが外国の場所だと知った時、びっくりして私の何かが変わった。外国はアメリカ位しか知らなかったのだから、世界と言う意識とその国の多さに目が開かされたのだろう。

そしてとにかくミュンヘンだ。ホテルに荷物を置き、コンセルジュの女の人に聞いて、大きなビヤホールに入った。酒蔵のような感じだが、天井がドーム型で高く、とにかく広い。銀座の「ライオン」は、ここに似せたようだ。ブラスバンドが入り、ドイツ民謡らしい曲が歌われていて、皆陽気で明るくジョッキーを空けていた。カウンターの奥には大きなビヤ樽が並んでいる。ビールしか無かったらどうしようと思ったが、ワインもあった。

ドイツ語は分からない

ミュンヘンはビヤホールを見学すれば用は無い。ドイツについてもっと学んで来れば、また違ったかも知れないが、何と言っても女の人が怖いという印象に染まってしまった。皆笑わず、愛想がない。昔は、ロシア人の女の人をそう思っていたが、ちょっと苦手だ。ここでレンタカーを借り、楽しみの1つアウトバーンに乗った。しかし、何て事、スピードが出ない。車は力不足か時速100㎞も出ないのだ。本当に「Oh my God !」。夫の姉夫婦は、モナコに居た頃、ここを時速300㎞で走ったと言っていたのだ。それは怖いが、経験出来ないスピードを味わって見たかった。そして道を走るのは良いが、標識が分からない。町の名前も分からない。ドイツ語はベートーベンの歌曲「イッヒ リーベ ディッヒ」(「I love you」)と「おはよう」位しか知らない。

いつまでも同じ地名が出て来ると思っていたら、それは「出口」だった。ドイツ語の地図と日本語のガイドブックを頼りに2人で走れば、すぐ喧嘩が始まる。助手席に居る私がナビゲーターなのだから。

小さな町では、レストランで英語が全然通じない。メニューもドイツ語だけだ。どうしていいか分からず、隣のテーブルを見て、同じ物を貰う。肉が入っていた事しか覚えていない。ユーロになる前の話だから、通貨はマルクだったがレートは忘れた。24年位前である。ディズニーランドのシンデレラ城のモデルとして有名なノイシュバンシュタイン城には寄らなかった。この名前は未だに覚えられない。子供の頃はお城に憧れたが、今は古いお城にしか興味がない。でも、今思えば、寄って見ても良かったなと思う。

期待の森

ドイツで1番見たかったのは、黒い森だ。森と聞いただけで心が躍る。グリムの童話などの影響ではないと思うが、都会育ちなので、木への憧れが強いのだ。そして樹海のような深い森には興味津々である。昔、この辺は森が海の役割、と言っても先が見えない、行くのが困難と言う感じだったのだと思う。私たちは黒い森を通ったが、何の感動も無かった。単なる普通の森にしか見えない。北カリフォルニアのレッドウッズ国立公園の方が、ずっと凄い。屋久島の様に年代物の大樹も有り、車で幹の中をトンネルの様にくぐれる木も有った。私たちは、有名な温泉バーデンバーデンにも行かなかった。プールの様に水着で広い所に大勢で入るのは嫌だった。

やはり日本食レストラン

そしてフランクフルトに帰った。急いで日本レストランを探した。いつでもどこでも日本レストランを探す。やはり日本食が好きなのだ。ニューヨークでも何かと言うと日本レストランばかりに行っていた。ニューヨーク以外で心に残る日本レストランは、パナマにある「古都」だ。ここは、マスコミの人などに有名だそうだが、家庭料理が本当に美味しかった。

フランクフルトの印象はとても悪い。麻薬中毒の人があちこちにいて、全然取り締まっている様子が無かった。自己責任なんだろうと思ったが、街の雰囲気が悪くなる。暗く小汚い印象が強い。それに治安も良くない感じだ。日本がすべて良過ぎるのだろうが、他の都市よりもそう感じた。ドイツでは方向が違って行けなかったが、ベルリンにはちょっと行って見たかった。 

あまり良い事が書けなかったが、私はメルケル首相が好きである、凄い人だと思うし、女性の誇りだ。いつまでも頑張ってほしい。

前の記事次に続く