癌ステージⅣを5年生きて 77

散骨の風ディレクター KYOKO

パンドラの匣(はこ)

パンドラの匣とは、人間の脳の事かも知れない。脳が災害を起こしたり、疫病を起こしたりする訳ではないが、外で起きていることを認識するのは脳だし、人間の体の中でも嵐は起きる。私はパンドラの匣だ。だから自分一人でいろいろな事を起こし、騒ぎ、絶望し、死にたくなる。10代の頃から未だに変わらない。被害を受けるのは、夫だが、原因で有る事も多いのだからしょうがない。そして、その匣の中から、「希望」という名前の女神が出てくる。女神は必ずしも優しい訳ではない。叱咤激励も多い。しかし、涙と言う潤いや、忘れていた音楽を聴かせてくれる事もある。心を奪われる絵画やふと手にした本の事も。私はどんなに死にたいと思っても絶対に死なない。それは本当にささやかな消えそうな小さなロウソクの炎が、突然燃え上がるからだ。生きる事の意味、生きる事の素晴らしさ、そこに向かって突進するアドレナリンが出る。私は火の星座のグループだから激しいのだと思うが、静かな水の星座のグループの人もさざ波は起きて、穏やかに治まるのだろう。私は五黄の寅の獅子座だ。虎は意外に繊細で、ライオンも臆病だったりするのだ。

「パンドラの匣」は、太宰治の小説のタイトルでもあるが、ギリシャ神話などでは、ゼウスから渡された匣で、開けてはいけないと言われていて、開けると有りとあらゆる禍が出てくるが、匣の底には希望が残っていたという話だ。開けてはいけない、触れてはいけないと言う意味で使われると言うが、私には希望がある匣のイメージが強い。もう現実には、匣が開いている。だからそれを言いたくて、人間に例えた。誰にでも必ず希望はある。

我が青春の太宰治

せっかく太宰治を出したので、少し触れたい。私は少女の頃、彼に夢中になった。しかし最初に「斜陽」を読んだ時は、全然分からなかった。大人の女の心理には程遠い子供だった。それで同級生のA君に聞くと、「ああ、あれは所謂(いわゆる)斜陽なんだよ」と、知ったような事を言われ、ますます分からなくなった。でもそれを機に、「人間失格」などを読み、のめり込んだ。どの作品も好きだが、「ろまん燈籠」のような明るい短編が好きだ。結婚してからは、夫がファンになった。今では夫の方が詳しいだろう。夫は「メリークリスマス」がいいと言う。そして女心を掴むには、太宰のセリフが一番だと思っている。

三島由紀夫と悪夢

太宰治のファンだった頃、三島由紀夫は宿敵だと思い嫌いだった。それに悪魔だと思っていた。それでも作品は嫌いではなかった。作品は認めていたし、先輩がファンだったのか、彼の作品で2度も舞台に立った。高校演劇とアマチュア演劇での話だ。彼の「近代能楽集」の中から「邯鄲」で、ばあや菊の役を演った。地味な着物を着て、顔にいっぱい皺を書かれ、頭は白髪混ざり、私は悲しかった。16歳になったばかりで、演じる役は38歳の準ヒロインなのだが、その頃のイメージとしては老人に近く、思いっきりおばあさんにされた。でも所詮16歳は、38歳にも70歳にもなって居なかっただろう。さらに悪い事にコンクールで、あがっていたのか、頭が真っ白になり、セリフを忘れてしまった。しばらく舞台の上は沈黙が続き、セリフを思い出した私は、最初から全部言い直した。そのトラウマは長い事続き、舞台が開くのにセリフを覚えていないと言う夢を40歳位まで見た。

偶然、三島の自決した1970年11月25日に、私は東京を離れ白馬に行き、5日後に夫と遭った。それから私の人生は大きく変わったが、今は三島由紀夫を評価するようになり、彼の最後の作品「豊饒の海」は凄いと思っている。

天国への条件

でも、年を取るとパンドラの匣もしぼみ、勢いが弱くなる。そして最大の希望はやはり天国と称せしものになる。しかしその切符は簡単には手に入らない。一生懸命生きることが条件だ。私は、死にそうもないと思うようになってから、変わった。悪くなって来たような感じがする。生きている事に飽きたし、いい加減になった。仕方なく生きているような気もする。なにか執行猶予のような感じだ。延びた時間は大事に使わなければいけないと思うが、やはり体はついて行かない。もう少し、一生懸命に生きなければならないな。頑張って、最後の夢、赤道の上に行ってみよう。

前の記事次に続く