風の中の私 序

──やっぱり懲りない書く事は──

3日坊主の私が、約100日毎日書き続けた事は、正に驚異的な事でした。始めた時は、100日生きるかも分からなかったのですから。余命3カ月とは言われていません。誰も私の余命など分からないのです。嘘でもいいから占い師に聞いてみたい気持ちです。普通は、何歳までという目標もなく、誰でも寿命など分かりません。私も生かされて、どうしていいか分かりません。若くはない、元気ではない、リッチではない人。老年を生きる条件が兼ね備わっていないのです。もちろん出来る事はあります。体を動かさないで済む事、読む事と、書く事、観る事、聴く事、それは生きる糧の大事な部分ですね。

私の長い、上手でも無い文を好んで読んで下さった方も数名いました。それはとても嬉しい事で、なんて優しい人たちなのだろうと思いました。そんな励ましがあっても、私は迷いました。馬鹿な事をしたものだなと自虐的にもなりました。でも、私は裸で生まれ、何も持たず死にます。何もかも太宰的に言えば、お道化、私の存在に意味はなく、意味を持ちません。ただ、在りのまま、喜び、悲しみ、楽しみ、苦しみ、驚き、恐れ、虚無になるのみ。愛し、憎しみ、嫉妬し、妬み、恨み、怒り、欲を張り、己に溺れて、人間の脳の中は、あらゆることを発信します。

今までと同じようになるのか、変わるのか自分でも分かりません。筆の向くまま、気の向くまま、書く事が気晴らしなのは間違いないのです。長かったり、短かったり、自由自在に私のままに、取り敢えず再開してみたいと思います。

次回に続く