癌ステージⅣを5年生きて 17

散骨の風ディレクター KYOKO

思いがけぬ病気

2016年、小豆島も5月になって、自分たちの畑もいろいろな形の緑の葉が健やかに成長していた。雑草も増え、草むしりをするのが、私は楽しかった。私たちは農協の会員にもなり、邪夢猫(じゃむねこ)ファームという銀行口座も作った。そして私は、こちらでもカウンセリングの仕事をしようとホームページを作り、高松の産業カウンセリング協会支部にも顔を出していた。そんな矢先、2,3日血便らしき物が続き、何だろうと思っていた。どこも具合は悪くない、病気とは思えなかったが、一応掛かりつけの平井先生の所へ行ってみた。一週間後に血液検査、腫瘍マーカーの結果が出た。肝臓、胆管、胆のうの値が悪く、高松の県中央病院に紹介状を書いて予約して下さる。一週間後にパンダのフェリーに乗って高松へ行った。高松に行くのは楽しい。レストランやカフェ、アーケードの商店街、三越、いつも来るたびに時間が有れば、町をふらつく。病院では、血液・尿検査、胸部レントゲン、CT等、消化器内科の先生の話では、癌の疑いもあるようだった。また一週間後、大腸カメラ、マンモグラフィー等。乳がんの検査も年に1度やっており、乳がんの再発や転移ではないらしい。

病気と私

私は、癌は深刻な病気だとは思っていたが、三大成人病の中では、癌がいいと思っていたし、糖尿病や腎臓病など長く抱えるて生きる人生は嫌だった。癌のようにはっきり余命が分かったり、手術ができる病気が良かった。曖昧に長引く状態には耐えられない。前の椎間板ヘルニアの時も、自分で内視鏡手術の名医を選び、進んで手術をした。なんでもハッキリ、合理的でないと嫌なのだ。私は考えるのは慎重だが、楽観的な性格なので、自分に対して悪い予測は立てない。運命的な事は、全て上手く行くと思う。例え死ぬにしても苦しくはないと。昔、北海道の山奥で車が崖から落ちた時、私は瞬間的に気を失った。だから恐い思いも痛い思いもしなかった。その時に悟ったのだ、神様は耐えられない苦しみを与えないと。私は気絶を経験して非常に嬉しかった。私も気を失うのだ。そう分かれば、病気や痛みで恐い物はない。もう結婚して50年近く経つが、いろいろな意味ですっかり強くなった。しかし、感受性と傷付き易さと情の深さは捨てない。それによって起こりうるあらゆる困難を乗り越える技も身に着けたから。でも、やっぱり臆病者に変わりなく、引っ込み思案で、世間は恐い。

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