癌ステージⅣを5年生きて 18

散骨の風ディレクター KYOKO

直腸癌ステージⅣ

検査の結果、直腸に3㎝程の癌腫瘍が有り、リンパ節から肝臓に転移しているとの事。つまり直腸癌ステージⅣ(大腸癌に含まれる)で、このまま何もしなければ余命は1か月から3か月という事だ。まずは抗がん剤を打って、癌が小さくなれば手術出来るだろうと言われた。私は、他人事のように話を聞いていた。自分の事だとは到底思えない。目の前に「嘘でしょ」と言うような現実とは思えない世界がもやもやと広がっていた。1か月後に自分が死ぬかも知れないなどと、どこも痛くも無く異常も無いのに誰が信じられるだろう。でも、ぼんやりと「そうなんだ」とも思っていた。

同じ病気

私たちは、ショックだった。ステージⅣの場合の5年生存率は12%である。2人で同じ病気に時間差で掛かかるのも変だが、それも考えれば当たり前だった。40年以上仕事を一緒にし、行動もほとんど一緒だったのだから。しかし私たちにはそれが当たり前というか、いつも一緒にいる事が結婚前からの夢だった。「神田川」の歌そのままに、神田川の側の西落合の学生アパートが新居で、6畳2段ベッド付き家賃6000円。共同炊事場、共同トイレの古いアパートは靴を脱いで、急な階段を上がった所に部屋があった。家具と言える物はほとんど無く、後からテレビと扇風機を買った。もちろん銭湯通いだが、待たせたのはいつも私だった。学校の調理の時間以外では料理をした事のない私は、いつも共同炊事場で恥ずかしかった。ガス台に大きなやかんが置いてあり、「使う分だけ沸かして下さい」と書いてある。水をいっぱい入れる物だと思っていた私は、そんな事も知らなくてショックだった。

聖家族

話は脱線するが、そのアパートの隣に住んでいた5人家族の事を少し書きたい。私たちの隣には、30代後半位のご夫婦と3人の女の子が2部屋続きで借りて住んでいた。細くて真面目そうなお父さんに優しく朗らかなお母さん、娘さんたちは小学生でとてもお行儀が良い。清貧を絵に描いたような一家はクリスチャンで、争う声や大声など聞いた事もなかった。後に彼らは電話を引き、私たちはいつも電話を借りたり、呼び出して貰ったりとお世話に成った。あの素敵な家族はどうしているだろうと時々思う。

前の記事次に続く