癌ステージⅣを5年生きて 51

散骨の風ディレクター KYOKO

勝手な話、自分のために

前回50回目を書いて思った。これは、私自身が生きるために書いているのであることを。始めは私という存在を通して、何が私を生きさせているかを知ってもらえば、何かヒントが出てくるのではと思っていた。今簡単な結論を言えば、やりたい事をしているからだとは言える。これを書くことは、やりたい事に繋がっているのだ。最後に自分で自分に出来る事は、ほかに無いと思えて来た。

それは読む人にとって、詰まらない話なのかも知れない、私に興味が無ければ。しかし人間は孤独であるから、人から理解されたいと思う。だからSNSが流行るのだとも思う。しかし、私の場合、半端な理解はいらない。勝手に想像されるのも嫌だ。完璧な理解を望むから、言葉を尽くす。何よりも誤解される事が一番嫌だから、細かく書く。そして長くなる。それは現代の若い人の不得意とするところだと思うが。私は逆行して、重・長・厚だ。

自己満足でしかないのだが、もう少し続けたいと思う、生きるために。本来私は手紙向きなのだと思う。昔は何でも良く手紙を出し、私の運もそれで開いたりした。一人の人に向き合って書くことしかできない。あくまでも個人的だ。

肝臓に再転位

私の癌は、発見された時から、肝臓に転移した状態で見つかった。

ほぼ半分肝臓を切除し、部分的にも小さく取り、完全に癌細胞は取ったと言えた。その後抗がん剤も受けて予防をしていた。手術をしてから10カ月が経っていた。また癌は肝臓に転移したのだ。発見からの2年間、私は癌の痛みも支障も無く普通に過ごせていた。未だに何の兆候も無いなんて変だ。そう言うものなのだろうか。自分を自分で病人とは思えないでいる。あくまでも普通なのだ。今回もCTを受け、MRIに入り、PETも撮った。進行性の癌であるから転移は免れない。その時は思わなかったのだが、今思えば肝臓で良かったと思う。半分になった肝臓は、もう元の大きさより少し小さい位になっている。私は気楽に「また切ればいいんですね」と言っていたが、先生方にとっては、2度目の方が大変なのだ。切開した所が癒着していて剝がさなければならない。それが面倒な作業で、それに肝臓でも太い血管の側だったりすると切れない。大変な手術なのだろうが、金子順一先生の顔を見ると安心する。先生も外科医だから切るのは好きそうだ。私が外科医だったら、ドクターXではないが難しい程腕がなる。

また、夫を忙しく、猫達に寂しい思いをさせる入院生活が始まる。

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