癌ステージⅣを5年生きて 54

散骨の風ディレクター KYOKO

私より凄い人

生きていると毎日思いがけない事が起きる。今日は宅急便が届いた。新潟からである。名前を見ても誰からか分からなかった。よく散骨のお礼にお菓子や果物などを頂く事がある。最近散骨なさった方かと思っていたら、手紙が入っていた。先日電話を頂き、資料等を送った方だった。夫が電話に出て、事情を聞いたところ、自身の事で、もう余命が短いとの事だった。私は資料に添えて、私自身の事も書き、心から同情出来る旨も書いた。

届いた袋の中には、手吹きガラスの素敵な風鈴、手作りの紙で出来たお雛様、お菓子、小豆茶、柏崎の花火大会の切手が1シート、そして生前予約の申込書が入っていた。

彼女は私より10歳若く、癌発見から私より長く生きている。やはりステージⅣで5年生存率20%を6年半以上元気に生きている。彼女も発見した時にはすでに遅く、1カ月で死ぬと言われたそうだ。それでも放射線が良く効き、ここまで普通に働き生きて来た。でも、最初からリンパ節の遠隔転移は存在し、それが急激に大きくなり、余命半年と言われた。手紙を読むと2004年の新潟県中越地震で家が全壊し、仮設住宅に1年半住んでいた。それは本当に、私などの経験していない恐ろしい事で、その心労も如何ばかりだった事か、到底想像できない。今は建て直した家に住み、仕事が好きで励んでいる。生きている事が大変だった彼女にとって、「死」は安らぎを意味し、恐れてはいない。私も同じ気持ちだ。でも、最近は悲しくも思う。夫と3匹を残しては逝けない気持ちが日増しに強くなる。

水しか飲めない

今日、定例の夫の大腸検査があった。この検査は、腸が完全に空っぽでないと出来ない。夫の行っている肛門科は荒川区で遠い。下剤を飲む時間の関係で、夫はいつも前の日の夜から千代田区の事務所に泊まる。昨日の昼から療法食になり、それ以外は水かお茶だけになった。夫は昨日の午後から「お腹が空いたお腹が空いた」をくり返し、早めに夜の療法食を食べた。それでも足りない、「何かが食べたい」と言って機嫌が悪い。麹町に出かける時も「嫌だ、行きたくない」と駄々をこねる。仕方なく、「好きな先生に会えるじゃない」と言ってもダメ、それで、「帰りに美味しいウナギを食べてくれば」と言うと、その気になった。「ウナギ、ウナギ」と言ってやっと出かけた。

しかし、今日帰って来ると、「今日は水しかダメ、明日はお粥」と言って嘆く。大腸にポリープが見つかり、それを取ったので、絶食になったのだ。それなのに銀座のデパ地下でたくさん美味しそうな物を買って帰って来た。せめて私が食べるところを見たいと言う。私は見せびらかして食べる意地悪な趣味はない。一緒に絶食しようか、隠れて食べようか迷った。でも、「食べて見せて」と言うから言葉に甘えた。銀座松屋のかぼちゃの煮つけは特別美味しい。何で、何がと思うほど、私の味とも、他の味とも微妙に違う。見た目は普通のかぼちゃの煮物なのに、何か出せない味が入っている。もちろん、買ってきた物は半分以上残して置いた。

相変わらず、夫は「何か食べちゃダメかな」「何か食べさせて」とうるさい。あの優しい先生が厳しく言ったそうだ。「今日は水だけです。」明日はお粥、何か入れてもいいのだろうか。夫は美味しそうなおにぎりも買って来て、これで明日雑炊を作ると言うが、いいのだろうか。可哀そうで見てられない。

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