お客様の声・風の声
2002年8月

2002/08/13 モダンだった、伯母さまらしいお別れ
2002/08/10 散骨をされたYさんからのお便り
2002/08/09 Uさんからの手紙・・・・その4
2002/08/09 Uさんからの手紙・・・・その3
2002/08/09 Uさんからの手紙・・・・その2
2002/08/09 Uさんからの手紙・・・・その1
2002/08/09 一年二ヶ月ぶりの再会(Uさんからの手紙・・・・プロローグ)
2002/08/09 散骨と「昼さがりのジャズ」
2002/08/03 裕次郎とビール

2002年8月13日

モダンだった、伯母さまらしいお別れ

8月8日、Sさん達の手で、長くアメリカで暮らしていた、伯母様(享年92歳)のご遺骨を、海へお還ししました。今日、お手紙を頂き承諾を得、ここに掲載します。

先日は、いろいろお世話になりました。何と申してよいか言葉も無いほど、嬉しゅうございました。
昨年三月より悩みに悩んだ結果で御座いましたが、あんなに素敵な散骨式が出来まして、きっと神様が、伯母に最後の贈り物をしてくれたのではないか思うほど、伯母にピッタリのお別れでした。
素晴らしいご夫妻に出会え、そして心からのお世話をして頂、本当に有り難う御座いました。

いろいろ家族の事情が有りまして、納骨は困難でしたが、でも、そのお陰でこんなに良い結果になって良かったなあと思っています。

まだ夢を見ている様な気持ちでございます。私達の話を聞いて、お友達が、私達もそんな所でと言っておられました。勿論、私達も・・・・・
思い出の写真、大切にしたいと思います。九月には甥も一時帰国致します。一度あの海を見せてあげたいと思っています。私達も九月末までにはポートランドへ出発します。

是非、ポートランドへいらしてください。お待ちしています。それでは、再会を夢見て・・・・お元気で、

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2002年8月10日

散骨をされたYさんからのお便り

散骨の証明書、無事届きました。
ありがとうございました。
今回の散骨は、私にとっても大変貴重な経験となり、また、母の希望通りにやっと海へ還してあげることができホッとしております。
これからは、散骨の需要も増えるでしょうね。
私も自分の経験を基に、興味のある人には、積極的に勧めてみようと思っています。
イベント等にはぜひお誘いくださいね。
また次の機会にお会いできるのを、楽しみにしています。
(7月30日散骨実施、『裕次郎とビール』を参照してください。)

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2002年8月09日

Uさんからの手紙・・・・その4

「はじめのうち皆さん心配しますが、終わると喜んでいただけます。」船長の言葉どうりに散骨のセレモニーは満足のいくのもだった。

「BGMは何にします?」と聞かれたときは、えっ、と思ったが自分は「ジャズ散骨」をやろうという船長のことだから、その意味はすぐわかった。
父は「シューベルトの未完成交響曲」が好きだったのでそれにするつもりでいたが、どうせ変わったことをやるのだからと、これも好きだった「美空ひばり」の曲をつかった。船上に流れる音楽をききとがめた兄が顔をしかめるので、意図を話すと納得したのか彼なりの追憶にはいっていった。

はじめは服装の制限(カジュアルに・・・)を聞いて何でそんな面倒くさいことを、といっていた者も帰りの船の中ではまるで自分が海に飛び込んだように晴々とした顔をしたいた。

船の定員が許すなら、散骨と聞いて「おじいちゃんらしいわ」と言っていた従姉妹たちも是非、呼んでやりたかった。

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2002年8月09日

Uさんからの手紙・・・・その3

代々の墓の有る父が、散骨をしてくれと遺い残したと聞いたとき、ピンとくるものがあった。

中年で兵隊にとられシベリア抑留を経験し、多くの戦友が目の前で死んでゆくのを見た父は、生きるという事の考え方が変わったようだ。それと同時に死というものも個人に帰趨することと考えたのではないか。俗世間から解き放たれる、死後こそ自由でありたいと。

生粋の江戸っ子の家系でありながら、父は祖父の仕事の都合で一人、国府津に生まれた。そのためか海が好きで、また、その地を愛した。
オプション(追加料金)になるにもかかわらず、散骨の海域を「国府津沖」に決めたのは母である。また、散骨が終わって一番嬉しそうなのも母である。
とくべつ仲の良い夫婦ではなかったが、夫を生誕の地に解き放ってやったのだろう。

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2002年8月09日

Uさんからの手紙・・・・その2

「袖すりあうも他生の縁」という言葉がある。前世の因縁をさす言葉らしい。
オンディーヌの船長、不思議な人と袖をすり合わせたのは父の散骨をしたときだ。いくつかの業者にあたっているうち「風」にめぐりあった。他生の縁かどうかはわからない。会う前は金持ちが船をもてあましてアルバイトをしているだろうくらいに思っていたが、会って見てちがうことを知らされた。

誠実なのである。その誠実も商売としての誠実ではなく、自分に誠実なのだ。散骨を業にするにあたってのいろいろな苦労話を聞いているうちに船長の人生にいくつかの屈折があることが感じられた。

彼はこの屈折をポジティブに捉え、散骨というなかなか認知されにくい仕事に取り組んでいる。時に豪放に、時に繊細に誠実があらわれる。
しかし、その誠実は「安くしときましょう」とは言ってくれなかったけど。

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2002年8月09日

Uさんからの手紙・・・・その1

空はどこまでも晴れ、それを映す海も青い。心地よくジャズのながれるマリーナに、バーベキューセットと食事が並べられ飲み放題の酒も嬉しい。

飛び交う会話も、とても初対面とは思えないほど弾んでいる。まるで10年の知己のように。きっと楽しむ術をよく知っている人達ばかりなのだろう。
暑さに負けた人は、マグロのように寝転がる。そのうち近所の船でカジキマグロがあがり、本物のマグロのおすそわけにあづかった。久々の本物の味が酒を呼ぶ。

パーティーに参加した船のオーナーに囲まれ、ジャズの演奏も佳境に入る。「高級な怠惰を感じるわ」と、うまいことを言う家内のそばでは「ジャズっていいね」と、大人の遊びに初めて参加した高校生の姪が、そっとドンペリをなめながら目を丸くしている。

思いっきり働く人は、思いっきり遊べるのか。暑さとアルコールで朦朧とした頭の中に浮かぶ「日常」を吹き飛ばす「開放」の二文字が、サックスの調べに乗って夜まで渦巻き続けた一日であった。

この素晴らしい仲間を引き寄せるパーティーを企画・実行したのが『水の精』とは誰もわかるまい。

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2002年8月09日

一年二ヶ月ぶりの再会(Uさんからの手紙・・・・プロローグ)

Uさんとは一年二ヶ月ぶりに再会した。散骨に使っているクルーザー「オンディーヌ5」の主催『真夏の水の上のコンサート』へ来て頂いた。昨年6月10日に真鶴から出港し、父上の散骨を実施して以来である。

散骨に参加された方たちと、再びお会いする事はめったに無い。父上の散骨の打ち合わせの中、いくつかの上質なヒントを頂いたUさんに、散骨後の感想を頂けないかとお願いした。

8月8日、長文のお手紙を頂いた。
Uさんの了承を頂き、4回に分けて「風の日誌」に掲載いします。

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2002年8月09日

散骨と「昼さがりのジャズ」

散骨でお世話になりました舅は、明治生まれでしたがリタイアしてからも世間に敏感で、現代(いま)が解かっている人でした。亡くなってから、生まれ故郷の海に散骨希望が遺言と聞いたときは、さすが、と思ったものです。
都会では家意識が薄れてきている今、舅のような希望を持つ人が増えてくるのではないかと思いました。
先日、7月20日、「昼下がりのジャズ」
海に眠っている舅の前で、こんなに、はしゃいで良いのかと、少々後ろめたくは有りましたが、生きているうちが華!花?とばかりに、現実から遊離して、思いっきり楽しませていただきました。
元気でいたら、また来年も久里浜の海へ、ジャズを聞きに行きたいな。
(昨年6月、真鶴沖の散骨に参加され「水の上のコンサート」にも来られたUさんの奥様からのお便り)

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2002年8月03日

裕次郎とビール

先月30日、台風のため2回も延期になっていたYさんの散骨が行われた。晴天には恵まれたが、折からの猛暑そして南風によるうねり。往路は、かなりの揺れになってしまった。

城ヶ島大橋をくぐり、三崎港を抜け、故人がファンだったという石原裕次郎を偲び、油壺へ。ここはいつ来ても、別世界、海の軽井沢といった感じ。緑に囲まれた水面は、正に油を流したごとく静かで、池のようである。外海の荒波を逃れしばし、安らぐ。係留艇の中に裕次郎のヨット「コンテッサ」を探した。

再び外洋、裕次郎の映画に出演したこともある(娘さん曰く『大部屋女優だった・・』)という故人に「一番絞り」を献杯。明るく、美しく、社交的で、アクティブだったというYさん。安らかにお眠り下さい。

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