お客様の声・風の声
2004年8月

2004/08/31 駿河湾はペールブルー、ジャズとお経で
2004/08/23 小さな命の大きな存在・・・7(委託散骨)
2004/08/23 小さな命の大きな存在・・・6(委託散骨)
2004/08/21 小さな命の大きな存在・・・5
2004/08/19 小さな命の大きな存在・・・4(可哀想すぎて・・・3)
2004/08/19 小さな命の大きな存在・・・3(委託散骨)
2004/08/19 小さな命の大きな存在・・・2
2004/08/19 小さな命の大きな存在・・・1(可哀想過ぎて・・・2)
2004/08/13 可哀想過ぎて・・・1
2004/08/12 暑い、あつーい真夏の一日
2004/08/11 荒川区のSさんからの絵手紙
2004/08/11 Yさんからのお便り
2004/08/11 トリッキーな台風10号の進路
2004/08/01 明るさに秘めた悲しみ・・・3

2004年8月31日

駿河湾はペールブルー、ジャズとお経で

今回は、清水での初めての散骨である。亡くなったMさんは、海で小さな魚を捕り水槽で飼うのが好きな人であったが、働き盛りに亡くなってしまった。その一周忌が済んで、先週ご遺骨が海に還された。

奥様は一年間、本当に大変だったことと思うが、旦那様の遺志に沿い、散骨を実行された。本当は小魚の群れる、沖縄の海で為さりたかったようだが、人数も当初の予定では多く、集まるのも困難なので、予めご家族だけで、一部はすでに沖縄で散骨されたそうだ。

会社を経営していらした旦那様の突然の死は、混乱とともに多くの人を集める。
でも一年経ち、一周忌の法要の後で、日程も都合の悪い人が増え、親戚などが集まって、僧侶の方もお願いして、地方からのアクセスが良い、新幹線が使える清水で行われることになった。

本当に今年は、台風の接近、上陸が多い。地元での散骨も天候は気がかりだが、母港以外での散骨は、更に心配である。しかし、運良く台風と台風の狭間に当たり、曇りではあったが、海上穏やかでほっとした。早朝見えていた富士山は、生憎雲の中となったが、右手には、羽衣の三保の松原が見渡せる。

清水はヨットの盛んな所で、ここから海外に出て行く人も多い。私たちにとっても馴染みの海である。十数年前、夜遅くヨットで駿河湾から清水港に入ったことがある。エンジンにトラブルでセイリングで入った。三保内浜沖にアンカリングするつもりだったのだ。

灯台の灯りを見ながら、航路を入っていくが、町を走る車のヘッドライトや、家の明かりがまぶしく、おまけに信号の青いライトが灯台と紛らわしく、夜間の入港に苦労した思い出である。しかし、人々が皆親切で、随分お世話になりそれ以来友人も多い。

久しぶりの駿河湾は、沿岸は灰緑色だが、沖に行くにしたがって、薄いきれいな水色になる。いろいろ日本の海を見てきたが、こんな色はとても珍しい。沖縄などのサンゴ礁の海とは違う、いわゆるクレヨンの水色を少し薄めた色だ。

今回は、故人が好きだったジャズ、「テイク・ファイブ」をお流しするのだが、お経もあり、その兼ね合いに悩んだ。結局、Mさんの奥様と相談し、読経の間に、ご焼香代わりに水溶紙に包まれたご遺骨を、1人づつ海に還し、その後ジャズが流れる中、献花、献杯をすることになった。

僧侶の方がお乗りになるのは、大阪湾の散骨以来で2回目である。船上のことゆえ、お経は極力短くして頂き、全員が船酔いもなく無事に終えることができた。

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2004年8月23日

小さな命の大きな存在・・・7(委託散骨)

航君のお母さま、Kさんから以下のメールを頂ました。

 

HP掲載の件、承知いたしました。 散骨に関心をお持ちのどなた様か検索で辿り着いたページの記事がきっかけで 励まされること、救われることなどあると思います。 私のいたらない経験でも、誰かのお役に立てるのでしたら幸いです。

 

残暑お見舞い申し上げます。いつも、メールばかりですみません。
本日お手紙戴きました。また、泣けてきちゃいました・・・

航は、ちっちゃな遺骨でしたが、ちゃんと供養もしていなくて、たぶん、私の中では存在が相当大きかったんだと、怖くてたまらなくなる日もありました。

思い切ってメールをしてみてよかったです。快く散骨をお引受け下さり、ほんとうにありがとうございました。

8月9日の合同散骨の日は、朝から晴天でほっとしておりました。航を亡くしたのも同じ8月9日でした。ホームページの「風のアルバム」を拝見してまして花篭 の儀式にあやかって、前日の日曜日、近所で野草を摘み自宅でささやかに船の無事を祈っておりました。

自然が、あまりに偉大におもえて、それがちょっと怖くて、自分の悩みなんてちっぽけなものだと感じてしまいます。

いま、私は生きていることがとても楽しいです。そのうち三浦海岸へ行かなければ、と思っています。

しっかりしなくっちゃ・・・。

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2004年8月23日

小さな命の大きな存在・・・6(委託散骨)

弊社カウンセラーから、航君のお母さまへの報告の手紙です。

 

拝啓
この度は、弊社をご利用戴きまして、誠に有難うございました。8月9日に無事、航様のご遺骨を海にお還し致しましたので、ここにご報告させていただきます。

当日も連日の猛暑厳しく、強い夏の陽射しと澄み渡った青空の下、南風やや強く吹く中、午前10時半に三浦半島金田湾の沖合いにて、航様の海洋葬が行われました。

音楽は『くるみわり人形』より、行進曲をお掛けし、ひまわりの花を始め、トルコ桔梗、バラ、カーネーションなどをご遺骨と一緒に海にお還ししました。お母様がご用意されたマシュマロやボーロ、ミニチュアバイクなどもご一緒に、そしてりんごジュースをお捧げしました。

今夏は、例年になく黒潮が相模灘の近くを流れ、その支流も東京湾に入り込んでいるため水が非常に綺麗でした。澄みきった藍色の水は、東京近郊とは思えない美しさで、その流れはやがて世界中を巡り、浄化され空気となって戻ってきます。

機会がありましたら、三浦海岸を訪れて、海岸から沖を見渡し、航君を偲んで頂ければと思います。

では、K様のご健康とお幸せをお祈りして失礼いたします。
                     敬具

追伸
航君のご遺骨は、本当に少なくて、お写真の中では分らないと思いますが、ピンクのバラが添えられた包みが、花々の中に埋もれております。

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2004年8月21日

小さな命の大きな存在・・・5

Tさんから、メッセージを頂きました。

 

死んでも埋めないで。

私が先に逝けば夫が、夫が先に逝けば私が散骨する。日頃から夫とこんな話をしていました。でも私達にとって散骨はずっと先の話だと思っていました。

ところが、お腹にいたチビが私達より早く逝ってしまうことに。立夏を過ぎた頃でした。秋分の頃、産まれる予定だったのに。

私達のどちらかが散骨されるときまで手元に措くつもりでした。小さなチビを一人散骨するのはかわいそうで。しかし日が経つにつれ、「骨壷は狭すぎる、チビを広い世界に出してあげたい。いつまでも閉じ込めていてはいけない」と。

散骨場所は直感的に海。私のお腹の中と同様、チビがぷかぷか浮かぶことのできる海。たくさんの仲間が溶け合う海。厳しいけれど全てを受容する海。

チビは私達の手から海へ。花にかこまれ、静かに、青く透明な海に受入れられていくチビ。穏やかな海から臨む江ノ島と富士山。そして遥かなる水平線。これが元気に産んであげられなかった私達にできる最善。

チビへの責任を私達なりに果たし、チビと共に新たな一歩を踏み出せたと思うと、なんとなくホッとしました。散骨にかかわるすべての事象と出会いと海に感謝。

チビ。いつかパパとママも海に還える日がくる。一足先に海からみなを護り、時にパパとママにも力を与えて。小太朗君。キミよりずっと小さいチビだけど出会ったら遊んであげてね。

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2004年8月19日

小さな命の大きな存在・・・4(可哀想すぎて・・・3)

「チビちゃん」のご両親への手紙です。

「風の散骨」をご利用いただき、ありがとうございました。

「チビちゃん」の、ご冥福を心よりお祈りいたします。

あの日、私たち夫婦にとっても、特別な日になってしまい、私(船長)もいつになく、饒舌な落ち着かない状況で、大変失礼いたしました。

しかし、曇天が幸いし、ここ連日の熱さからも解放され、海況も散骨に申し分ない平和な海になりなした。「チビちゃんの散骨」時、Tさんご夫婦と勝手ながら、いつになく強い連帯感を共有致しました。

5年程前に私の父の遺骨を、相模湾へ還した時と同じ「無常観」と「諦めの感情」そして「これが大きな、一区切り!と自分に言い聞かせる。」という複雑な感情が蘇りました。「チビちゃん」と我が家の仔猫と一緒にするのは申し訳有りませんが、「小太朗」がいなくなり、私たち夫婦は、如何に「小太朗」の存在に癒されていたのかと、強烈な喪失感を痛感しています。

今朝、「小太朗」を火葬してきました。時期をみて、彼の遺骨を剣崎沖に散骨しようと、妻と決めました。名前も「剣崎小太朗」としました。元気な時、少年剣士を思わせる素早い動きと、そだちの良い少年を思わせる素直さと、愛くるしさを持つ仔猫だったからです。

剣崎は、ご存知のとうり弊社の事務所の目の前ですし、これからも散骨に出航すれば必ず目にし、その前を航行します。荒れると恐い海域です。「小太朗」に守ってもらいます。

自分たちの事ばかり、長々書いて申し訳ありません。実はTさんに、お願いが有ってメールしています。

私たちのホームページの「風の日誌」に、可能でしたらメッセージを頂きたいのです。Tさんも、この日誌を読まれているとは思いますが、私たちの日々の様子や、散骨された方々のメッセージを掲載しています。

ほとんどは匿名にしてありますが、承諾を得、原文に忠実に勝手に加筆したりせず載せています。多くのお客様が、散骨実施の決断のきっかけと、ヒントをもらったと仰っています。

もし、出来ますれば、お願いいたします。

追伸・・・もし「小太朗」が元気に天寿をまっとうできたら、その時は「私は75歳位になって・・・」と妻と話していました。小太朗を拾った夜のことです。

 オンディーヌ5   船長

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2004年8月19日

小さな命の大きな存在・・・3(委託散骨)

彼女は、ずっと悩んでいたようだった。生まれずに逝ってしまった赤ちゃんの骨を、どうしたらいいのかと。子供と2人暮らしの日々の中で、いつもそのことが気になっていた。

また夏が来て、今年こそはと思っていた時に、「風」のホームページを見つけた。

子供も仕事もあり、船には乗れず立ち会えない。彼女は、マシュマロとボーロ、ミニチュアバイクにミッキーマウスのメダルと一緒にご遺骨を送ってきた。

小さな骨壷には、ほんの少しのお骨が、命があった証としてそこに在った。航君と名づけられていた。

合同散骨のその日、お母さんの希望どおり、「くるみ割り人形」の曲をかけ、ひまわりの花を添え、りんごジュースと共にお送りした。
短い短い、小さな命、心の中に占めるその存在は、とてつもなく大きい。

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2004年8月19日

小さな命の大きな存在・・・2

8月16日、その日は、生まれることのなかった小さな赤ちゃんの散骨だった。

30代の終わりでやっと授かった命を失った悲しみは、ご夫婦にとって何ものにも変えがたく大きなものであったろう。

妊娠と同時にいろいろな夢が生まれ、ああしたい、こうしたいと話し合う2人は、どんなに幸せだったことか。そして一転、何が起きてしまったのか、なぜなのか、とても納得できることではない。

悲しく辛い日々が続き、夏になり、お盆が来た。2人は、ほんの少ししかない赤ちゃんの骨を海に還すことにした。

その日、海は夏とは思えない穏やかさ、美しさで、多めの雲が、暑さを和らげ、程よい風が気持ち良い日だった。この時期まれにしか見えない富士山まで見え、限りなく美しい水といい、これ以上の条件は望むべくもない散骨日和である。

本当に自然に、自然に海に還したいということで、音楽もかけず、静かに静かに、2人だけで、花を撒き、ミルクとカステラを捧げ、ご遺骨の行方を見守った。お母さんの羊水と海の成分は似ているという。海に帰ってほっとしているかもしれない。名前は・・・・・・・チビちゃんだった。

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2004年8月19日

小さな命の大きな存在・・・1(可哀想過ぎて・・・2)

8月16日、ついに仔猫の「小太朗」が逝ってしまった。

明け方、4時前に船長が目を覚ました時、小太朗は私たちのベッドの前で、失禁したまま蹲っていた。私も飛び起きて小太朗を介抱したが、いよいよ危なそうで今日が峠かと思われた。目にも力は無く、体温も下がっていて冷たくなり始めている。

小太朗は、最後に私たちを求め、側に来ようとしていたのだ。元気な時も病気になってからも、いつも私たちの頭の間で寝ていたが、ここ2,3日はベッドの高さの上がり降りが大変なので、ソファーで寝かしていたからだ。
病気になってからは、特に側にいて撫で上げると安心して、喉を鳴らして喜んだ。そのときも、もう力がないのに触ってあげると、かすかに喉を鳴らしていた。

その日は、仕事(散骨)で早く家を出なければならなかった。しかし、帰ってくるまで小太朗は持ちそうも無く、残して出て行くのはためらわれた。最後まで側にいて看取ってやりたく、連れて行くことにした。

ケージに入れ、車に乗せると途中で何度か動き、「アーン」というような声をだした。そして、その後、途中寄ったコンビニの前で、息を引き取った。

死を宣告されてから2週間足らず、その間苦しむようなら安楽死も考えられたが、少しでも水を飲み、ご飯を食べ、動いている間は、生きていてほしかった。
幸い最後まで苦しい様子は見せず、半日前までは、食事の時間に皿の前まではやってきた。

8月18日、朝、小太朗を火葬した。前日は、友引だったり、ペットの火葬場が混んでいたりして出来なかったのだ。小太朗の体はあっという間に燃え尽き、ほんのわずかな骨が残った。近いうちに、うちの側の、そしていつも通る剣崎の沖に還してあげたいと思う。

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2004年8月13日

可哀想過ぎて・・・1

大分前から元気がないのを心配していた小太朗、ついに不治の病を宣告されてしまった。あまりにも思いがけないその病気に、私たちはすっかり打ちの目されて、夏バテも手伝い元気がでない。

日に日に痩せて食が細くなっていく小太朗、もう余命は10日ないだろう。7月の下旬にお腹の寄生虫を駆除してから、どこといって悪いところは無さそうなのに、下痢だけが続き、仔猫らしくじゃれて遊ばないのが心配だった。先生に見せても別に変わったところはないということだったが、それでも異常なおとなしさに、再三診て貰い、検査の結果、猫伝染性腹膜炎ということだった。

発病したら、99パーセント死ぬという。原因や感染経路のよく分らない猫特有の病気で、ウィルスを持っていても発病しない方が多いらしいのだ。

お腹に腹水がたまり、それに反比例して身体は痩せ細り、家に来た時のように背骨がごつごつと尖ってしまった。手の施しようもなく、ただ見守るばかりだが、必死にごはんを食べようとお皿の前に座るのがいじらしくて、とてもまだ、安楽死など頼めない。一昨日は、新鮮なひこ鰯を刺身にすると3匹くらい食べた。でも、昨日は鯵をほんの一口食べただけで、今日はお気に入りだったキャットフードの汁をちょっと舐めるだけだった。

腹水を抜けば、多少楽になるかもしれないと思い、獣医さんで抜いてもらうが、辛そうに鳴くので、小太朗の体を押さえている船長も泣いてしまった。とても見ていられず、途中で止めてもらったが、何だか痛い思いだけさせてしまったようで本当に可哀想だった。

でも、まだ生きている、生きようとしている。とても心細いのだろう、私たちの側に居たがり、触ればゴロゴロ喉を鳴らす。そんな小太朗を心配しながらも、病気だと知らない小太朗のお母さんは、舐めたり尻尾にちょっかいを出して一緒に遊ぼうとしたりして、うっとうしがられる。

相変わらず、台所の猫の餌場は、8種類から10種類のごはんが並び、バイキング状態だ。4種類のドライフード、鯖の焼いたもの、鮭の焼いたもの、鯵の刺身、鮪の煮たもの、鶏の煮物、缶のキャットフード3種、残り物は、犬も最近食欲が落ちて食べない。

唯一、グリが元気を取り戻して、食欲があるのが慰めである。

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2004年8月12日

暑い、あつーい真夏の一日

今年は、猛暑を通り越し、本当に酷暑である。その真夏の真昼、炎天下。でも夏、海、太陽、そしてジャズ。大人の休日である。

8月1日今年5回目の「水の上のジャズコンサート」、お蔭さまで心配された台風も過ぎ去り、熱中症で倒れる人もなく無事、盛況裡に終わった。

年々、人が増え、「風」で散骨をなさったご家族も群馬や八王子など遠くから来て下さり、とてもうれしい。昨年は、150名を超す人が集まり、後半食べ物が間に合わなくなったり、ソフトドリンクがなくなったりといろいろ大変だったので、今年は何もかも多めに用意しておいた。バーベキューも行列することなく、食べ物が行き渡るように、専門の人をお願いして、準備万端だった。

私たちは、前日からいつも評判の良い三浦産のキュウリやトマト、すいかなどを買い集め、その量に如何に冷やすか頭を痛めていた。大きなすいか7つに100を超すキュウリとトマトである。でもなんとかマリーナの小さなボートを借りて水を張り解決した。

マリーナのテントは、昨年壊れてしまい、ビーチパラソルは風が強く出せず、うちで用意した3つのテント以外は、陸沖のヨットやボートがやっと日陰を作っている。35度を超える暑さでも日陰を渡る風は涼しく心地よい。

今年も電通やアサツー、サントリーの協力でビールやお茶なども沢山集まり、お蔭で素晴らしいJAZZを聴きながら、冷えたビール、ワインで贅沢な夏の午後が送れた。

「風のアルバム」8月1日の写真も合わせてご覧ください。

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2004年8月11日

荒川区のSさんからの絵手紙

 夏の花が描かれた絵手紙に、『父を迎えに、盆の入り』と毛筆で書いてあり、下記のお便りが添えてありました。

 

 もうすぐ旧盆、二回目を迎え、やっと父の写真を見ても涙しなくなって参りました。生前は小さな口げんかも時々したり、親子で旅行し、お人形を買ってくれた事を今、思い出したりしています。

 引き出しにある万年筆も、高校入学に祝ってもらったり・・・家中で船を借り、海へ行きハゼ釣りしたりと、懐かしく思い出しています。

 父の大好きなビール、供えて下さい。一緒に少しですが飲んで下さい。(サッポロビールの贈答券が同封されていました。)

 (長い追伸が便箋に書かれていました。)

 ご無沙汰ばかり申し訳ありません。海に居る父に会いに!と思いつつ、荒川から手を合わすばかり、本当にごめんなさい。静かに、いつも海を見、風さんに頼んでよかったと、今でも感じています。

 仏壇には、夏の盆、父の好きだった物を供え、家族で拝んで居ます。毎日のいつもの、お線香より多めにあげて。

 きっと今ごろ、父も海をながめ、大好きな釣りを思う存分し、私共を見守ってくれていると思います。本当に有難うございました。これからの御発展、希望しております。

 私も目が悪くなり(老化)、きっと父もそうだったんだろうなーと感じています。思いつくまま、乱筆にて失礼します。

 小さな旅を主人とし、もう父とは来れないね!と、又、想い出しています。

 「風」様に、お世話になり本当に有難う存じます。弟家族も喜んでおります。

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2004年8月11日

Yさんからのお便り

 暑中御見舞い申しあげます。

 

 この度は、父の海洋自然葬にご助力をいただき、ありがとうございました。海辺で生まれ育ち、海が好きだった父にとって、最高の一日であったと思います。

 残された者達にとっても、あらためて「生命」を考えさせる良い一日でした。重ねて、ありがとうございました。

 Yさんに、掲載の承諾を得るべく電話しました。散骨の帰路、「俺は(散骨に)決めた!」とご主人が仰ったそうです。

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2004年8月11日

トリッキーな台風10号の進路

今年の暑さは、猛暑を超え本当に酷暑。そして台風の上陸や局地的大雨、何か異常を感じる夏だ。でも、船長の母校旭川北高等学校が44年ぶりに甲子園に出るというのも驚きだが、グッドなニュースだ。

ところで、7月の最終日Yさんの散骨が、なんとか無事終わった。Yさんはかなり前から予約を頂き、7月28日が予定の日だった。親戚の方たちも青森から見えるということで、ホテルなども手配なさっていた。

しかし、心配していた台風に当たってしまった。この10号は、大型で速度が遅く、進路が普通ではない。いつもは南から上がって来て、本州を西から東、そして北上するのだが、今回は、東から西へ向かっているのだ。時速20キロから15キロでノロノロ動いている台風は、早くからその影響を海上にもたらし、うねりの高い日が続いた。

推定進路から、25日の時点で、28日か29日に最接近しそうという予報で、28日は実行できそうもなく、かろうじて30日にできるかどうかという状況だった。そこでYさんに状況を話し、30日に延期を決め、親戚の方のホテルやチケットの変更をお願いした。

しかし、台風はなかなか進まず、27日になると30日に最接近では、という予報に変わり、8月上旬まで延ばした方が良さそうに思え、再びYさんと相談するが、夏休みで混んでいるため、チケットももう変更は無理ということだった。結局、31日の午前中にできなければ、親戚の方はもうそのまま帰京し、こちらにいる人だけでやるしかないという結論になった。

せっかく兄弟の散骨のために、青森から休みをとって上京なさる皆さんや喪主のYさんのことを考えると、なる様になるという気には為れず、日に何度も天気予報を見、台風の動きを確かめ、海を見、落ち着かない時間が過ぎていった。

そして直前まで心配は続いたが、31日青空と蒸し暑さの中、多少のうねりはあったものの、皆さん揃って無事散骨を終わらすことができた。故人も本当にホッとされたことと思う。良かったー!

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2004年8月1日

明るさに秘めた悲しみ・・・3

 故人の奥様から、お手紙を頂きました。承諾を得、掲載します。

 

 先日は、ほんとうにありがとうございました。

 海洋葬なるものを初めて経験いたしましたが、なんともすばらしい!そしてまだこのような散骨の方法を知らない方々にぜひ、もっと知って頂けたらどんなに良いでしょう。

 素敵な証明書を見てまた感激いたしました。そして、心温まるお手紙、ありがとうございます。

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