お客様の声・風の声
2004年6月

2004/06/29 三浦半島のアライグマ
2004/06/26 ニューフェースと仲間たち・・・3
2004/06/26 迷ったり、悩んだりして、お見送りに・・・2
2004/06/26 迷ったり、悩んだりして、お見送りに・・・1
2004/06/23 ニューフェースと仲間たち・・・2
2004/06/23 ニューフェースと仲間たち・・・1
2004/06/11 父を回想するクルージングも・・・
2004/06/08 鹿児島から風と潮に乗って・・・2
2004/06/08 鹿児島から風と潮に乗って・・・1
2004/06/08 葉山のガラ・コンサート・・・2
2004/06/08 葉山のガラ・コンサート・・・1
2004/06/08 安心した気持ちで毎日過ごしています。

2004年6月29日

三浦半島のアライグマ

 もう3週間位前になるだろうか。朝のウォーキングの途中、スイカ畑の中の細い道を歩いて、谷側の畑地に罠が仕掛けてあるのを見つけた。中にはりんごがつるしてある。少し大きいがてっきり鼠のためだと思っていた。

 2日後、その中には、アライグマが捕まっていた。ちょうどセブンイレブンで、「ラスカル」のお皿を景品に出していた時だった。

 逃がしてあげたい衝動に駆られながら、じっと耐えてそこを通り過ぎた。でも、そのアライグマのことが気になって仕方なかった。アライグマは、結構凶暴だから、檻から出すのは難しいし、あのまま殺されてしまうのだろうか。そして、それからしばらく私たちはその道を通らなかった。通るのが嫌だった。

 次の日の夕方、ニュースの特集で、横須賀、三浦のアライグマの被害を取り上げていた。なんでもペットだったアライグマが増え、野生化して3000匹位が生息しているという。家の屋根裏に巣を作り、子どもを生み住み着いているらしい。

 畑でもトウモロコシ350本が食べられたとか、問題は多いらしい。横須賀、三浦両市では、補助金を出して、業者に捕獲を依頼しているのだ。今年の目標は、500から600匹ということだ。

 哺乳類は、みんな可愛くて、それらが捕まって殺されるということは、本当に辛いことだが、いろいろな伝染病も持っており、共存不能の場合は仕方が無いのかもしれない。

 ラスカルのお皿を貰いながら、ひたすら安楽死であることを願う。

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2004年6月26日

ニューフェースと仲間たち・・・3

 果たして、仔猫は我が家にやって来た。SORAはパニック、あんずも不満げ。グリも面白くなさそうで、家の中は、嫌なムードが漂っている。仔猫は、まず、ごはんを食べ、私たちのところで寛ぐ。

 そして蚤退治。蚤取り用の櫛があったはずなのだが、どうも見つからない。家の猫たちはもう蚤もいないので、どこかに仕舞い込んでしまったらしい。仕方なく、ボールに洗剤を入れた水を用意し、仔猫の毛を掻き分け、1匹ずつ捕まえボールに入れる。全体が白い毛なので、蚤が走るのが良く分る。

 最終的に、60匹はいただろうか。背骨が皮にくっついて、ゴツゴツしていて痛々しい。しかし、環境にも人にも猫にも怯えないので、安心する。このままうまく育てば、性格のいい猫になりそうだ。

 翌日、あまりご飯を食べないので、牛乳に病猫食の缶詰を混ぜ、大きいスポイトで少しづつ口に入れる。病気ではないが、栄養失調で弱っているのだ。他の猫たちは、反発して、押入れに隠れて出てこない。特にSORAがナーバスになっている。それまで、自分が一番が若くて、可愛がられていて、我が儘いっぱいにしていたのだから、なんとも面白くないのだ。ジェラシーで、気分が収まらない。

 あんずは、古猫だし、たくさんの猫と暮らしていたから、馴れているはずだが、最近年取って、妙に甘える癖がついて膝にすぐ乗るだけに、やはり面白くないのだ。グリは、病気もあり少しイライラしている。

 三日目になり、ムードは、少しずつ良くなってきた。仔猫の名は、いろいろ悩んだ末、小浜の太朗で、「小太朗」と呼ばれることになる。

 長い茶トラ柄の尻尾を立ててチョコチョコ走る様が実に可愛い。あんずとグリは無視、SORAは遠巻きに見て気にしているが、本人も遊びたい盛りで、じっと隠れているのはもう限界という感じ。

 そして、1週間が経った。小太朗はもうコロンコロン。ぽっちゃりお腹の元気な仔になって、尻尾を立てて走り回っている。ごはんも何でも良く食べ、元気良くトイレの砂も掻いている。

 そしてSORAとは、こども同志、追いかけっこなどして遊んでいる。男の子なので、その腕白ぶりは、グリの小さいときのようで、人の手や足を良くかじり、引っ掻く。夜中など寝ているのに、足をかじられ、引っかかれ、大変である。お願いだから、顔はやめてね。

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2004年6月26日

迷ったり、悩んだりして、お見送りに・・・2

 Kさんから、お便りを頂きました。了承を得、掲載します。

 

 快晴に恵まれまして、青い海にアリストロメリアとともに散って自然に還り、無事散骨が出来ましたこと、御礼申し上げます。

 少人数ではございましたが、素晴らしい港から、船を見送ることが出来まして感謝致しております。

 (散骨の報告を読み)現地での状況、目に浮かぶようで又、新たな涙でございました。

 その時の様子を詳しくお知らせ下さいまして、心より御礼申しあげます。

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2004年6月26日

迷ったり、悩んだりして、お見送りに・・・1

 散骨を考える時、家族にはいろいろな悩みが生じる。まず、親戚や周りの人から、反対されないか。そしてどのように、何処へ。時期はどうだろう、呼ぶ人は誰にするか、などなど。

 先日の合同散骨の際、委託を申し込まれたKさんは、突然の旦那様の病死から1年半、いろいろ模索され、結論として家族は船に乗らずに、見送りをすることを選択された。

 そこに至る経緯には、他の大手葬儀社の散骨に申し込み、乗船名簿まで書いて取りやめたり、樹木葬にすることも考え、散骨場所を見に行ったりということがあったらしい。

 船は、皆さん弱いらしく、乗ることは無理と判断し、樹木葬は、その場所が只の蜜柑山で、見晴らしもあまり良くない上、その場所まで歩いていくのも不便だったからと言う。 散骨当日は、晴天に恵まれ、お嬢さんとお孫さんを伴って、お出でになった。旦那様は長野出身ということで、県花のアルストロメリアと「信濃の国」の音楽をリクエストされた。しかし、「信濃の国」は、生憎見つからず、第二希望の「千曲川」を用意させていただいた。

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2000年6月23日

ニューフェースと仲間たち・・・2

 いつもの犬の散歩をしながら、様子を見にいくと、ご飯はきれいになくなっていた。でもどこへ行ったのか、それっきり姿は見えなくなってしまった。しかし幸いその週は、梅雨の晴れ間が続いていた。

 1週間ほどして、船長が魚の荷揚げ場で、一瞬、親子を見かけたという。しかし、仔猫は1匹しかいなかったらしい。私達も水のことを心配していたが、案の定、水を求めて、港の方へやってきたのだ。でも2匹のこどもたちは・・・。

 エサの場所も小浜から、港に置いてある壊れて動かないトラックの下に変える。大きなトラックや、車が行き来する場所だけに仔猫がチョロチョロするのが心配である。しかし、犬を置いて再びそこへ行ったときには、もう姿がなかった。

 そして次の日、船長が、犬の散歩もそこそこに帰ってきて、仔猫を見つけたというので、私も保護すべく駆けつけた。親猫は離れたところで、エサを探しているようで、仔猫は1匹で、フォークリフトの下に蹲っていた。

 少しじゃらしておびき出すが、出てくる気配はなく、かえって奥に行ってしまう。とても手は届きそうもなく、また逃げられたら捕まえられそうもないので、ゆっくり用心して、しかし近くにあった箒で、追い出す作戦に出た。飛び出すかと、出口で待ち構えたが、結局押し出されて、簡単に捕まえることができた。

 手のひらの仔猫は、痩せてガリガリでおとなしかった。1週間でこんな風になってしまったのだ。あと1日発見が遅かったら、手遅れだったかもしれない。次の日には台風も迫っていたから。親子を離れ離れにするのは、可哀想だったが、遅かれ早かれ、みんな独立しなけれならない運命で、助かるチャンスは一度なのだ。母親は、捕まらないし、こどもがいない方が、生きていき易いだろう。

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2004年6月23日

ニューフェースと仲間たち・・・1

 10日ほど前、犬の散歩から帰ってきた船長曰く、「困ったもの見ちゃった・・・」と。散歩コースの小浜で捨てられたと思われる仔猫を見つけたという、それも一匹ではなく2,3匹いそうだというのだ。

 私も困った。去年SORAを拾い、グリは病気だし、隣に住んでいる大家さんにこれ以上飼うとは言えない。雑種の仔猫の里親を探す困難は目に見えている。聞いてしまえば心配だし、とりあえず見に行くことにする。

 小浜は、間口漁港の魚の荷揚げ場から程近い小さな磯場で、行って見ると、崖の下の藪に仔猫が出たり入ったりしているのが見える。生後1ヵ月位で白地に茶のブチで尻尾が長い。2匹で遊んでいるようだ。野良の仔ではなさそうで、まだきれいで健康そうである。私たちが近寄ると一瞬藪に逃げ込んだが、長い草でじゃらすと好奇心で1匹が出てきて簡単に捕まった。

 同様に2匹目も捕まえたて見ると、藪の中にもう1匹が臆病そうにこちらをみている。3匹か、仕方ない、もう1匹と思ってじゃらそうとすると、その後ろに母親の姿があった。なんだお母さんがいたのか、そう思うと瞬間的に2匹の仔猫を藪の中に返してしまった。

 その日家に帰ると、その親子のことが気になって、なにかいいアイデアはないか一晩考え続けてしまった。野良の一家ではなく、親子で捨てられたばかりのようだ。野良猫なら用心深くて仔猫でもとても捕まらない。しかし、あの親子は今のうちに保護できれば、人にも馴れ、なんとか幸せになれそうだ。

 このまま放っておけば、先は目に見えている。カラスや鳶のエサになるか、車に轢かれるか、飢え死にするか、運良く生き延びる確立は本当に低いのだ。知り合いの飼ってくれそうな人に電話をするが、やはりダメだった。

 あくる朝、小浜に行ってみるともう、親子の姿は見えなかった。母親が警戒して、場所を変えたらしい。仕方なく用意したキャットフードと水だけを置いて帰ってきた。縁がなかったのかと、少しホッとしたり、それでも大丈夫だろうかと心配したり。当分は、授乳している親猫のために毎日エサをもっていくことにした。お母さんも子供を抱えて、慣れない野良暮らしでさぞ心細いことだろう。

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2004年6月11日

父を回想するクルージングも・・・

 城ヶ島沖、相模湾に散骨された、Sさんの娘さんからメールを頂きました。承諾を得、掲載します。

 

 昨日は、思い出に残る散骨をさせていただき、ありがとうございました。親族を代表して、御礼申し上げます。

 天気もよく海も穏やかで、海が好きだった父を送るのに、ふさわしいクルージングでした。

 水溶紙が水中で広がって見えなくなっていくのを見ていると、胸にこみ上げてくるものがありますね。花に囲まれて、きっと魚にも囲まれて、父も喜んでいてくれていると思います。

 法事をする代わりに、父を回想するクルージングもしたいと考えておりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 ほんとうにありがとうございました。

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2004年6月8日

鹿児島から風と潮に乗って・・・2

 エンジンのないヨットでは、本当に風だけが頼りで、吹く方向によって同じ距離でも所要時間が全然違ってしまう。出るときに電話をもらったが、何時に着くか全然分らない。

 しかし、適度な風が吹いているので、お昼過ぎには着くだろうと思っていると、11時少し過ぎにもう剣崎だというので、慌てて漁港まで迎えに行った。おまけに電話では、風も良いし、天気も良いので、今日中に東京湾を渡ってしまおうかな、と言っている。

 私たちは、元気良く入港してくるキュウリを出迎え、お昼でも一緒に食べようと言ったが、結局千葉まですぐに行くことになり、「オンディーヌ5」で東京湾横断を伴走することになった。

 東京湾は、真ん中が本船航路になっており、小型船で横断するのはかなり神経を使う。それもこんなディンギー、手漕ぎボートにセールがついたようなものでは、本船に気がつかれず、自力で逃げることができないおそれがあるので、伴走が必要なのだ。

 私たちと間口漁港でお会いしたキュウリのおっかけNさんと、浦賀のマリーナまで車で急ぎ、「オンディーヌ5」を出港させた。車の伴走のキュウリの彼は、久里浜からカーフェリーに乗り対岸へ向かい、私たちは剣崎沖でキュウリと会い、2ノット(時速3、6キロ)位の艇速でついて行った。

 天気も良く北東の風が緩やかに吹く中、ディンギーは好調に走り気持ち良さそうである。だんだん房総の緑が目に鮮やかになってくる。その日は、幸運にも本船は少なく、ほとんど会うこともなかった。やがて陸地のブランケットに入り、風が止まりヨットは走らなくなった。

 さて今日はどこに泊まるかということで、その辺では富浦がいいだろうということになった。私たちは富浦港の沖のブイまで彼女を送り、帰りは快速し帰路に着いた。

 お昼のお弁当とペットボトルのコーヒーだけを積み、彼女は北海道を目指してひた走る。1週間分の食料など積んだら、また太平洋を沖へと行きたくなってしまうから、と言う。本当に海と自然が好きな天然の人だ。きっと真夏には北海道の海を満喫できるだろう。無事を祈っています。

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2004年6月8日

鹿児島から風と潮に乗って・・・1

 油壺ボートサービス、略してABSのホームページは、充実していてファンも多い。社長の日高さん通称オッコちゃんの写真が評判だ。

 31日のページに今給黎(いまきいれ)さんが諸磯に着いたことが載っていた。彼女は、ヨット界では知らない人がいない有名人で、13年位前に単独無寄港世界一周を最年少でやりとげた人だ。航海途中にヘリコプターによる補給が1回あって、正式な記録にはならなかったが凄いことだ。

 丁度出港の準備をしている頃、船長は鹿児島にいて知り合ったのだ。私達も世界一周をめざし、鹿児島で船の塗装をしていて、彼女からは、保存食などを分けてもらったりした。

 その今給黎さん、通称キュウリは、去年からディンギー(4.2mのエンジンなし小型ヨット)で、鹿児島から北海道を目指しているのだ。冬季は無理なので休み、今年5月清水から再スタートして油壺に来たのだ。私たちはABSで10数年ぶりに彼女に会った。

 相変わらず、日に焼けた真っ黒な顔に白い歯が眩しい。思い立って1週間で出発したというから、その行動力にも恐れ入る。バイタリティの中に明るさと可愛さがあり、その存在感はやはり圧倒的だ。彼女をライトバンで伴走しサポートしている彼も一緒だった。

 次の日は、剣崎灯台の下、間口港にくるというので、私たちは早起きして、大掃除をし、彼女を待っていた。

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2004年6月8日

葉山のガラ・コンサート・・・2

 さて、コンサート当日。初めての華やかなコンサートなので、朝から何となくソワソワ落ち着かない。久しぶりのドレスアップである。

 ニューヨークでメトロポリタン・オペラハウスに行く時などは、オペラそのものも楽しみだが、おめかしして劇場に行くということと、そんな雰囲気に囲まれるのが、非日常的で楽しいのだ。毎年9月終わりのシーズン初め、ガラ・コンサートなどとても高くて行けなかったが、それは華やかな世界が展開されていたようだ。

 葉山町文化会館では、会場時間を30分過ぎ、建物の前には、着飾った人たちが、手に手にシャンパンを持ち歓談していた。湘南の名士たちのちょっとした社交場という雰囲気である。

 500席弱の客席は満員の盛況で、ホルンとピアノ二重奏から幕は開いた。ホルンが主役の演奏は初めてだけに中々、興味深い。

 そして注目のソプラノ森摩季さん。若く容姿端麗で、細い体型なので、オペラのヒロインにぴったりの感じ。特に「椿姫」などは、痩せている人に演じてほしいと思っていたのだが。彼女は、声もなかなかマイルドな高音で、素晴らしい歌声だった。本当にこれからの舞台が期待できそうな人だ。最後にアンコールで歌った「私のお父さん」は、肩の力が抜けていて、たぶんとても彼女らしいいい持ち味がでていた。花房晴美さんのピアノは、前半がショパンで、遺作のノクターンが楽しめた。

 この日は、吉川さんご夫妻に懐石料理までごちそうになってしまって、初対面の奥様ともお話でき、お祭りのような気分の高揚する1日だった。こんな日の後は、気分の切り替えが難しい。

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2004年6月8日

葉山のガラ・コンサート・・・1

 5月29日葉山町文化会館にて、FM葉山主催でクラシックのコンサートが開催された。ニュース解説者の木村太郎さんが力を入れてらして、年2回開かれ今回が5回目だそうだ。

 プログラムは、ソプラノの森 摩季さん、ホルンの松崎裕さん、ピアノの花房晴美さんで、私たちは、あまり詳しくないのだが、森さんは最近の若手では、一、二を争うという、海外でも評判の人だそうだ。

 ガラ・コンサートということで、服装は、正装でお越し下さいとチラシに書いてある。去年の秋、サントリーホールのガラ・コンサートの時は、招待されたのだが、船長がタキシードを持っていないのであきらめた。それまで正装の場には、行く機会がなかったのだ。また、そのような格好をすることに船長は必ず抵抗を示す。

 今回は、タキシードでなくても良いらしいということを聞き、また船長の大好きな吉川さん(木村太郎さんのヨットのセールメーカー兼、ボースン)のお誘いだったので、行くことにしたのだ。服装は悩んだあげく、蝶ネクタイを買うことにして、解決した。

 アメリカは、自由の国だが、セレモニーや、レストランでの服装には、厳しい。ヨットで旅をしていた時には、行く先々のヨットクラブに招待され、春、秋のセレモニーのときなど、上は紺のジャケット、下はグレーや白のズボンなど決められていて、慌ててデパートに駆け込んだものだ。

 フロリダの高級フランス料理の店では、カジュアルでいいのか確かめて予約したのに、行ってみたら上着が必要だったこともあった。船長は短パンにビーチサンダルで、なんとかその店で上着を借り、隅の目立たない席で食事をしたこともあった。

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2004年6月8日

安心した気持ちで毎日過ごしています。

 5月9日に、葉山マリーナから出港し、江ノ島沖で散骨された、Tさんからお便りを頂きました。承諾を得、掲載します。

 

 先日は、父の散骨をして頂き、お世話になりました。江ノ島への散骨は、父の希望でしたが、思っていた以上にとても良いものだと思えたのは、風の方々のおかげだと思います。

 散骨証明書と、注文したメモリアルオブジェも素敵なもので、改めて風様にお願いして良かったと思いました。

 父も大好きな江ノ島に還れて、とても喜んでると思いますので私達も安心した気持ちで、毎日を過ごしています。

 最初から最後まで、父と私達に、いろいろと気を使って頂き感謝しています。本当にありがとうございました

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