お客様の声・風の声 2005年5月
2005/05/29 ビューティフルデー イン 新潟
2005/05/24 東京湾口、綺麗な海水のなかへ
2005/05/23 思い出深い時間を過ごす
2005/05/10 母の日、愛犬たちと一緒に
2005/05/10 映画『海を飛ぶ夢』について少し
2005年5月29日
ビューティフルデー イン 新潟
天気予報が今年は、去年より当たっているようだ。そして散骨の予定日も今年はほとんど第一希望で実施されていてかなりラッキーである。
5月も下旬に入ったある日、長期予報どおりの晴天に恵まれ、2年ぶりに日本海で散骨が行われた。
故人のたっての希望で故郷柏崎でということであったのだ。92歳で亡くなられたKさんは、私の伯父と同じ大正元年生まれで、柏崎で回船問屋を営んでいたということだが、きっと波乱に富んだ生涯を送られたことだろう。
絵を描かれていたというKさんは、カトレアのような蘭科の花や、芍薬などの華やかな花を好まれたということで、胡蝶蘭などの鉢植えを数種類用意し、芍薬も硬い蕾をストーブで暖めて見ごろに咲かせたが、カトレアが中々見つからず、あきらめ掛けた時に、偶然ガーデニングコーナーで鉢植えを一つ見つけることができた。
音楽は、よく歌っておられたという「エンヤートットー、松島―・・・・」という曲のタイトルが分からなくて、長男の方が自分で歌いますと云うことだったが、インターネットで調べて「斉太郎節」と分かり、CDを用意することができた。
地方での散骨は、いつも花の運搬に手をやく。今回は鉢植えが多かったので、水やりの心配は少なかったが、嵩張るので小さな車はすぐいっぱいになってしまった。毎回荷物が多く、陸続きの所は大抵車で移動することになる。
今回は本州横断24時間の出張になった。
夜7時に出て、柏崎に着いたのは丁度0時だった。関越自動車道を新潟に入ると地震で被害の大きかった小千谷や川口町の辺りで、その道の悪さに地震の凄さを思い知らされた。ガードレールは波打ち、道路も日本の舗装道路とは思えない凸凹さで、船に乗っているようである。
次の日、素晴らしい晴天である。風もなく、波もない。気温は、暑からず寒からず何もかも最高で、こんな日に海に出られるのは本当に幸せで、Kさんの徳だろうか感謝である。
はるか沖に佐渡島を望み快調に船は進み、柏崎沖5海里で、水溶紙に包んだご遺灰を海に還す。明るい緑色の海面に大きな芍薬の花がひときわ華やかだ。新潟の銘酒八海山を故人に捧げ海に注ぐ。しばし故人への思いを海上で馳せ、米山、米山大橋を見学しながら帰路となる。「米山さんから雲がでた・・・」という歌もKさんがよく歌われていたという。長男ご夫婦もやっと責任を果たせたと安堵されていた。
とんぼ返りとなったが、五月晴れのドライブウェイは、目に鮮やかな田植えを終えた田んぼが清清しく、久しぶりの水田風景が妙に心にしみて美しい八海山の眺めと共に心が洗われる思いだった。ただ、地震の爪あとが谷間に残り、被災された方々の大変さも思い知った。
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2005年5月24日
東京湾口、綺麗な海水のなかへ
金田湾で散骨をされた、Iさんからお便りを頂きました。承諾を得、掲載します。
前略
散骨式には大変御世話になり、有難うございました。
美しいたくさんの花と一緒に、紙に包まれた故人の遺骨は、流されながらゆっくりと海に沈んでいきました。
花々は海流に流され、静かに沖へと流れていきました。その光景は天国を思わせるような美しい、素晴らしい式でした。
故人は静かに、おだやかな天気のなか自然に帰っていったのだと思っています。
感動的な式をしていただきまして、厚く御礼申し上げます。
草々
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2005年5月23日
思い出深い時間を過ごす
川崎にお住まいの、Iさんからお便りを頂きました。承諾を得、掲載します。
この度は、お世話になりました。当初は委託をお願いしていましたが、突然の同船を許可頂き、有難うございました。
やはり変更し、自ら家族の手で散骨出来たことを、嬉しく思っています。勿論、父も喜んでいると思います。
船上でのお仕事は御苦労も多いと思いますが、遺族にとっては思い出深い時間を過ごす貴重な体験ですので、今後もお体に気をつけて頑張って頂ければと思います。
有難うございました。
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2005年5月10日
母の日、愛犬たちと一緒に
5月に入り、北風や南風の強い日が続いている。
連休の最後の日、Aさんのお母様の散骨が行われた。天気図では、日本の周りに3つの低気圧、三浦半島は曇りで朝方一瞬の小雨に見舞われた。海上は波0.5m、北風がやや強いが引き潮に乗り船は沖へ進む。
冬に比べ、東京湾の水は大分濁ってきている。空気も清明さが失われ富士山も見えない。剣崎を越え、東京湾を出ると右手に宮川公園の風力発電の風車が2基、そして城ヶ島大橋、城ヶ島が見えて来る。
船は、このところ入って来ている黒潮の支流を目指す。先日、房総半島館山沖で出会ったので、確かに近くに来ているのだ。城ヶ島から10km位進んだ所で、突然、海の色が変わり、潮目と思われる水面が盛り上がっている。
いよいよ黒潮に突入。あまりの水の青さ、透明さ、その清清しさにしばし感動。
Aさんのお母様が好きだったというナット・キング・コールの曲が流れる。今回は、Aさんの家で代々可愛がられていた犬たちのお骨も一緒に散骨される。犬好きだったお母様も4匹のワンちゃんと一緒なら寂しくないに違いない。
水溶紙に包まれたご遺灰には、ご家族から、やはり水溶紙に書かれた手紙が添えられた。故人が好きだった気品のある花カラー、そして母の日にちなみ色とりどりのカーネーションが水面に漂う。サイダーの献杯も爽やかである。
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2005年5月10日
映画『海を飛ぶ夢』について少し
尊厳死についてのやはり非常に重い話である。しかし、決して映画が暗いわけではない。映画を観ても、本を読んだとしても「死」を選択する自由については分からないことがあまりにも多い。だから人の死に関して考察するには、できるだけ多く観たり読んだりすることが大事だ。
28年間寝たきりで動けない人の気持ちは、その人と同じ状態にならなければ解らないし、同じ状態になっても、その人格や置かれた環境によって、思うことも感じることも苦痛の深さも違う。
そして難しいのは、その本人の気持ちを量ることではないか。健康であっても死にたい人はたくさんいる。何がそう思わせるのか、また、真に死にたいのか、それは本人にも解らない。「希望がない」ということ、それは一般的な希望、「つまり生きていればいい事もあるだろうというような」と「見果てぬ夢」というその人の生き様につながる希望があり、個人にとって重要なのは後者だ。
体が動かなくても「心」があり、「頭脳」があり、「精神」には無限の可能性が残されている。生きていれば、「何かが起こり、良かったと思う日が来る」と人は言いたいだろう。しかし、待ち続けた28年は本当に重い。それは周りにいる人たちにとっても。
先日もアメリカで、両親と夫との間で、裁判が行われた植物状態の女性の例も含めて。存在していてほしいと思う気持ちと解放されて得られる自由。そしてすべての最後決め手は、時間の重さしかないのかもしれない。早すぎても、若すぎてもいけない。
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