お客様の声・風の声
2007年5月

2007/05/21 「手話の千の風」5月の合同散骨・・・2
2007/05/21 「手話の千の風」5月の合同散骨

2007年5月21日

「手話の千の風」5月の合同散骨・・・2

井出さんから戴いたメールです。実名で掲載してかまわないとのことでした。

海に解き放された父の骨が青い影となって、散りばめられた花と共に海水を泳いで行く様でした。

船長さんが鳴らしてくれたお別れの鐘が、厳かに海水に乗って響き渡りました。

周回して帰港する時、空からの太陽の光が、雲の隙間から何本も何本も線状になってキラキラと海に散らばり、まるで「ありがとうな」と父が答えてくれている様でした。

散骨クルーズは、もっと肩の凝るものと想像していましたが、厳かでありながら湿っぽくもなく、素晴しいものでした。

故人の遺志とは言いながらも、遺骨はとっておきたいという思いもありましたが、終わってみると、かえって思い出が深くなった様な気がしました。

通常の葬儀、納骨と違って、洋上という別の環境でイベントを行う事により、イベント自体がある意味、故人との思い出の様に感じられるからでしょうか?

悲しみに浸りつつも、現実の生活があり、中途半端な感覚でいたところ、ある意味区切りがつきました。成仏とは、逝った者と残った者とが、よい関係で区切りがつくことなのでは・・・などと考えてしまいました。

 命日に海の近くで、その方角に手を合わせながら良い景色の中で故人をそして散骨の日を思い出すのも、新しい供養の仕方かなと思いました。

 「風」の皆さん、そして「オンディーヌ?号」、素晴しい散骨式をありがとうございました。

PS.出版される本、イベント等ありましたら、是非お知らせ下さい。

井出 静江

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2007年5月21日

「手話の千の風」5月の合同散骨

少人数の会社であるから、1人何役もこなさなければならず、かなり忙しい毎日で、最近、日誌も中々書けない。今は、かねてから予告の本の出版が大幅に遅れ、それと共に私の受講している放送大学の授業が始まり、欲張って10科目とスクーリング5科目があり、かなり忙しい。週3回、千葉、世田谷、文京、足立と移動の日々、そして散骨。

 昨日は、城ヶ島沖にて8名のご遺骨が海に還された。参加されたのは、3家族で、委託が5名である。午前と午後2回に分けて行われた。久しぶりに素晴らしい天候で、朝方は富士山も見えていた。

 午前中は、旦那様を亡くされたSさんとご親戚4名が参加され、委託3名が一緒だった。Sさんたちは前日、三浦海岸のマホロバマインズに皆さんでお泊りになっての参加だった。浦賀から三崎までの回航中、東京湾は前日のうねりでかなり波が高かったが、相模湾側に出ると差ほどでもなく、風もなくさわやかな散骨日和となった。音楽も委託のYさんのリクエストSMAP「ありがとう」やSさんのご希望の「千の風になって」など今らしい趣だ。

 お昼に三崎港下船の際は、船着場の混雑も大変なことになっていた。ゴールデンウィーク並の二重、三重の泊め方である。おまけに干潮時で、乗り降りの岸壁までの距離も1メートルを越える。幸い私たちの船は、何とか無事、停泊し、下船も出来たが、午後の出港まで、港はてんやわんや、陸上もお祭りとかで人出も凄い。

 船のレジャーの場合、日帰りがほとんで、その場合、東京、横浜近郊から来て、泊められる場所は少ない。千葉の保田も人気なのだが、工事中で使えず、ほかの漁港は三崎ぐらいしか、開放されていない。三崎港には、皆まぐろを食べに来るので、お昼は本当に大変だ。そして昨日は、最高の天気で、海上も船がいっぱいだった。

 さて、午後の散骨だが、埼玉のMさん母娘、東京の井出さん夫婦、2組が乗られ、委託のご遺骨も2柱があった。2時過ぎての出港となったが、海はさらに良くなって、水の色も澄んで青くなっていた。

 今回は、ユニークにも井出さんのリクエストでお父様の好きだったという「水戸黄門」のテーマソングをお掛けし、続いてMさんのリクエスト、サイモンとガーファンクルの「明日に架ける橋」を流す。2家族とも和やかにリラックスし、とても気もあったようだ。

 散骨の船で、一緒になり、それが縁で仲良くなるということもたまにあり、前には、「同期の桜」の曲の鶴田浩二で、気が合った方同士がいらした。今回も「水戸黄門」に明るくていいですよね。とおっしゃってくださったMさん、「明日に架ける橋」を口ずさんでいらした井出さん、共に素敵な方たちで、理想的な合同散骨となった。合同の場合、いろいろな条件の中で、カップリングはかなり難しい。日にちと場所がどうしても優先になるから。でも、限りなく理想を目指してアレンジしたい。

 散骨後の周航の際、何をかけようか悩みながら、「千の風になって」をおかけしたところ、井出さんの奥さんが、とても上手にお歌いになるので、船長が関心していたが、彼女は、つい最近、手話で「千の風になって」をコーラスしたということだった。

 二家族とも、予想以上に散骨が良かったと思い出いっぱいに下船なさった。
Mさんは、30代で旦那様を亡くされ、お1人になられたのだが、明るく前向きにしていらっしゃる。無理せず、ゆっくり、頑張ってほしい。

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