お客様の声・風の声 2002年12月
2002/12/21 Fさんからの お便り
2002/12/18 「ちょっと気が早いのですが、よいお年を・・・2」
2002/12/18 「ちょっと気が早いのですが、よいお年を・・・1」
2002/12/17 「厳かに清らかに」
2002/12/17 「理解あるご親戚に送られて」
2002/12/06 「WOW WOW WOW !」
2002/12/04 書き込み有り難うございました
2002年12月21日
Fさんからの お便り
12月17日の日誌『厳かに清らかに』で委託散骨を見送りにいらした、Fさんからお便りを頂き、掲載をお願いしました。
母は、大好きな花の中で眠り、美しい海にかえる事ができ、とても喜んでいると思います。オンディーヌのあたたかい散骨式に、伯父、伯母も立ち会うことが出来ました。
母には兄が一人、弟が二人、そして姉が一人と三人の妹がおります。一人一人の思いが一つに合わさり、本当に良い告別式と散骨式が出来ました。有り難う御座いました。オレゴンのポートランドにいらっしゃる時は、是非、我が家でお泊まりください!
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2002年12月18日
「ちょっと気が早いのですが、よいお年を・・・2」
9月5日の「風の日誌」の『叶わなかった、花火と散骨』のTさんからメールを頂きました。掲載のお許しを頂きました。
ご無沙汰しております。
先日は初雪もあり、寒さの厳しい冬になりましたね。お元気でお過ごしでしょうか。今夏は熱海での父の散骨で大変お世話になりました。
HPに私達の散骨の模様がアップされていたのを読み、感謝の気持ちをお伝えしたいと思っていたのですが、今年は何かと慌ただしい日が続き、今日になってしまいました。遅ればせながら・・・ほんとうに、やさしいお心遣いどうもありがとうございました。おかげさまで、こちら3人も皆、元気に過ごしております。
今も冬の海をクルーズされているのでしょうか。私は都内にいるとほとんど海を眺めるチャンスがなく「ゆりかもめ」に乗った時と、伊東を往復する車窓くらいのものです。
海好きとしては、船長ご夫妻のライフスタイルは本当に魅力的です。また、とても仲睦まじくていらっしゃるので、そんな所も憧れです。
また船上でのイベントなどを開かれる時は教えて下さいね。是非お伺いしたいと思います。
それでは、また。ちょっと気が早いような気もいたしますが、よいお年をお迎え下さい。
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2002年12月18日
「ちょっと気が早いのですが、よいお年を・・・1」
Tさんのメールを「風の日誌」に掲載したいと、お願いしました。承諾のメールです。
お返事ありがとうございます。今月はお忙しかったのですね。サイトの方も見てきました。四季の移ろいがあるように、そして様々な人間模様があるように散骨にも、いろんな事情やスタイルがあるのですね。
デリケートな人の心や、気まぐれな天候の調整をしながらのお仕事で、何かとご苦労が絶えないと思いますが、お二人のライフスタイルやキャラクターを生かした、やりがいとニーズの高まっているお仕事という事をあらためて実感しました。
>よろしければ、頂いたメールを匿名で掲載させて
> 頂きたいと思うのですが、よろしいでしょうか。
夏に、スケジュール調整などの業務連絡みたいな内容でしかメールができなかったので、ちょっとお仕事というつながりから離れたところで、書いてみようと思った文章だったので、あそこに相応しいか分かりませんけれども、あの内容で問題ないようでしたら、どうぞご利用ください。匿名であれば、私の方はかまいません。
家族共々、今後とも末永くお付き合いして頂ければ幸いです。
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2002年12月17日
「厳かに清らかに」
冬の天気予報はあまりブレナイのに、どうも不安定、12月9日は例年より早い初雪しかも大雪、気温もかなり低い日が続いた。合同散骨を予定していた17日も予報では、悪そうなので、最良の天気図だった12月15日(日曜日)、合同散骨を前倒しし、午前中のチャーター散骨の後、午後もう一度海に出ることにした。
この日は、委託されたお母様のご遺骨を見送りに、船に弱いという、アメリカ在住のお嬢さんとお孫さん二人、そして故人の妹さんが、マリーナまで見送りにいらした。
散骨場所の城ヶ島沖海上は、午後の陽射しを受け、凪いだ海面は「印象派の絵」の様に、金色に輝いていた。今回は、2つのご遺骨が委託されていたが、リクエストされて花は、全く対照的で、一方は、色とりどりのスイトピーで愛らしく、もう一方は、白菊でといういうことで、しめやかに飾られた。
でも、音楽は、両方とも厳かにということで、モーツァルトの「レイクエム」を用意した。そして清らかなシャルロッテ・チャーチの「讃美歌」。清澄さは、水中まで及び、白紙に包まれたご遺骨が、青白くいつまでもいつまでも深く沈んで行くのが見えていた。
海は終始穏やかで、船に弱い方でも充分航海を楽しめる海況でした・・・・
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2002年12月17日
「理解あるご親戚に送られて」
15日(日曜日)は、久しぶりの穏やかな海日和に恵まれた。これまで三回連続、日曜日は悪天候で延期になっていた。今回の方は、1回で良い条件の日に当たり、本当に運が強い。指定の日が延期になることが、多いわけではないが、必ずしも静かな海にはならないからだ。
お乗りになられたご家族、ご親戚の中に、お年寄りのご夫婦(故人の弟さん)がいらっしゃり、散骨海域へ向う途中、弊社のパンフレットを熟読なさって「帰ったら早速遺書を書いて、散骨にする」とおっしゃっていた。そして、故人の希望どうり、散骨を実施した甥は偉いと褒めてもいた。みなさん、散骨に理解がお有りだ。
つい最近、弊社に散骨を相談された方で、親戚から強行に反対され、故人の希望でありながら、散骨をあきらめるケースもあったのだ。そんなわけで、今回のように、理解され、和やかに見送られて海に還れる方は、本当に幸せだと思った。
冬になって海の水がきれいになったのだが、この日も透明度は抜群で、マリーナの中でも、いつも見えない海底が見え、たくさんの魚の泳ぐ姿につい見とれてしまった。
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2002年12月06日
「WOW WOW WOW !」
11月15日、合同散骨に参加された、英語が堪能な老婦人Hさんから、お手紙を頂きました。ご本人の了承を頂き、ここに掲載いたします。
WOW WOW WOW! びっくりしました。
思いもよらない立派な額!
「散骨証明書」を後でお送りくださること、私が聞き逃していた様でごめんなさい。一枚の紙切れに、ほんの一行、証明を記していただくだけのつもりでいましたのに。主人もきっと喜んでいると思います。有難う御座いました。
「静かな波のときは、佇みながら、大きな波の時は元気よく、遺骨が世界を駆け巡る」と思うと、世界旅行を主人に一歩越されてしまったという感じがいたします。(略)
油壺の「SANCTUARY」どんなところなのでしょうかしらね。(「風の日誌」11月12日の記事のお話をしました。)次元の違うちっぽけなところで、船長さんとは比べられませんが、私たちにも勝手にそう呼んでいる場所があるのです。
鳥取県の東浜海岸、長い砂浜の海岸線の端に洞窟があり、その洞窟をくぐったその向こうです。余程、波の引いた時でなければ陸側からは怖くていけません。夏よりも秋か、五、六月頃が私は好きです。普通の人から見れば海水浴客で賑わう時期以外は寂しい感じのところなのですが。(略)
「ミスター カナディアン グリーズリー ベアー様」(我が家の飼い猫で、時々乗船)はあれだけ良い体格ってことは、お家でよほどご馳走をお召し上がりなのでしょうね。
一言の御礼のつもりが、長くなってしまいすみません。寒さに向います故くれぐれもお体お大切になさいます様。ご主人様にもどうぞ宜しく御伝え下さいませ。そして勿論「グリ様」にも
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2002年12月04日
書き込み有り難うございました
11月19日に実施した合同散骨(一つ前の日誌「委託の・・・」を参照下い。)に参加された、Nさんから『BBS』(下記をご覧下さい)に書き込みを頂きました。風のカウンセラーからお礼のメールを送信しました。
先日は、ご乗船有り難うございました。また、今回は、HPに書き込んで頂けて、大変うれしく思っております。
実は、昨日(12月3日)も合同の散骨があり、5名様のご遺骨を散骨し、三組のご家族がお乗りになりました。
愛知県からいらした3姉妹、北海道から届いたご遺骨には、港から遺児姉弟と小さいお孫さんのお見送り、毎回、いろいろな方がいらっしゃいます。
今回の、ご遺骨も女性が多く、皆様強く、海に還ることを希望していらして、それが叶い、本当に良かったと思うとともに願いを叶えて差し上げたご家族の強い愛情を感じます。
では、本当に有り難うございました。皆様のお幸せをお祈りしております。
(書き込みより)
故人の希望を、叶えてあげられました
生前常々口にしていた「富士山の見える海に散骨して!」という母の希望を、"オンディーヌ5"にて、散骨するという形で無事叶えられました。
我が家には、10数年前に他界した父が納められているお墓が田舎にあるのですが、母はどうしてもそのお墓に入るのが嫌だった様です。「狭くて暗い、じめじめしたお墓に入るよりも、大好きだった富士山を、いつも海から眺めていたい」と、私共や孫たちにまで拝むように頼んでおりました。
実際このような事が可能かどうか疑問に思いながら、インターネットで検索してみたところ、こちらのHPに目がとまりました。
カウンセラー(船長の奥様でもいらっしゃる)の方に自宅に来て頂き、故人の骨を海に還すという、私共の気持ちをそのままお伝えしました。生前母が好きだったお花や、音楽を尋ねられ、それが散骨時に流していただけると聞き、大変嬉しく思いました。そしてそれらは、実際、富士山の見える海上で、厳かに、静かに行われたのでした。
紺碧の海原を見ながら、大自然と一緒になった母に、安らかに、そしていつまでも私達を見守っていて下さいと願いながら・・・。
今回、船長始め他のスタッフの皆様の、さりげない心遣いと人柄に触れながら、母の散骨に立ち会えたことに本当に感謝したいと思います。
(APRIL&MAY)
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