お客様の声(風の日誌)

散骨式などのエピソードを読める「風の日誌」を過去のものから全てを掲載しています。過去のものは右の目次からどうぞ。

2003年9月

2003/09/24 大空への散骨
2003/09/18 イタリアンもショパンも、夏の海の贅沢・・・2
2003/09/18 ブラジルからの青年
2003/09/16 鳥羽のカモメ
2003/09/12 船長の中の船長・・・3
2003/09/12 船長の中の船長・・・2
2003/09/08 船長の中の船長
2003/09/05 イタリアンもショパンも、夏の海の贅沢

2003年9月24日

大空への散骨

初めまして、シドです。俺は空が好きです。海よりも空が好きだった。ガキの頃の将来の夢は航空機の整備士になる事だった。結果的に、サービス業をやっているのだが、でも、昔と変わらず空が好きです。嵐が来ようが、竜巻が来ようが、台風が来ようが、雲の上は澄み切った空が広がっている。
俺が死んじまったら、骨は空に撒いて欲しいと思うんです。雲の上の澄み切った空へ、風になりたい。
海もいいけど、僕は泳げないから、海が嫌いなんです。それに深くなるに連れ、暗くなってくる。俺は暗い所も嫌いだから。。。わがままかもしれないけど、最後の最後は俺が好きな空に散骨して欲しい。
空からの散骨は出来るのでしょうか?この答えにより、楽しみが出来るか、出来ないかになってくるのですが。あと、どれくらい掛かるのかお願いします。

 

(「大空への散骨」への答え)
 現在、空からの散骨はヘリコプターか、小型飛行機で行われています。台風より高くとなると、一万メートル位でしょうか?ジェット機でないと無理でしょう。
 わが社が「宇宙葬」のサービスをしているのはご存知でしょうか?打ち上げ可能なご遺骨は7グラムです。打ち上げる高度により、地球を廻る年数は違いますが、数年~80年位までの予定で現在飛行中です。最終的には、地球の引力で大気圏に入り、燃え尽きます。
 シド様のイメージとは違いますか?

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2003年9月18日

イタリアンもショパンも、夏の海の贅沢・・・2

 鎌倉沖で散骨を済ませ、油壺でイタリア料理を楽しまれた、Wさんからお手紙を頂きました。日誌への掲載を承諾して頂ました。

 

 前略

 この度は、大変お世話になり、ありがとうございました。

 私たち夫婦は、鎌倉が好きで、鎌倉にオーナースホテルを購入し、毎月のように行っていましたが、ここ7~8年は一度も行ってませんでした。主人を亡くした後、どこに散骨しようかとても迷ってましたが、やはり鎌倉沖に決めたのです。

 船長夫妻にお会いでき、とても素晴らしい式ができた事に心から感謝しています。そして、私も思い出一杯の鎌倉に、また行きたいと思えるようになりました。本当に有り難うございました。

 K(わが社のスタッフ)さん、立石(オーナーソムリエ)さんにも大変お世話いただき嬉しかったです。ちょっと早いかも知れませんが、私の時もオンディーヌ5で、散骨を希望しています。どうぞ長生きして下さい。待っていてください。

        草々

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2003年9月18日

ブラジルからの青年

 その人は、ブラジルで生まれた日系二世だった。年老いた彼の母親はいう「明るくて、とても器用な子だった」と。

 リオデジャネイロの近郊、海の見える場所に家を建てる土地を買った時だった、彼の父親が亡くなったのは。それから、いろいろなことがうまく行かなくなったという。

 いっそ日本へ行こうと2人で決め、福島の親戚を頼って日本へやって来た。バブルの頃である。埼玉で自営業を営んでいる叔父から、そこで働かないかと誘いがあった。彼は喜んで、埼玉へ行ったが、叔父とはうまが合わず、仕事でもいつも怒られ、結局そこを止めてしまった。彼の父親は優しい人で、彼を怒ったことなどないという。

 彼は東京で仕事を探し、タクシーの運転手になった。始めた頃は、カーナビも買い、仕事は順調だった。母の日に、突然やって来て、最新新式の洗濯機をプレゼントしてくれたこともあったという。

 日本の景気が悪くなり始めた頃、彼のカーナビも壊れ、仕事もとたんにうまく行かなくなった。彼はタクシーを止め、仕事を転々とした。良い仕事には当たらず、失業率の上昇とともに、就職そのものが困難になった。ホームレス寸前まで行き、母親の元に戻ってきた。母親もその時は、東京で生活保護を受けていた。

 彼が亡くなったのは、母親が、ブラジルの長男を尋ねている時だった。知らせを聞いて、急いで日本へ戻ってきたのだが、彼の死は、自死だった。母親は途方に暮れた。火葬された彼の遺骨は、一部、福島の墓へ納骨され、残りは、ブラジルの海に撒きたいという。彼は44歳だった。

 後日、彼女から電話があり、アパートを訪ねると、わが社で粉末化した遺骨の一部を渡された。機会があったら、伊勢の海に散骨してほしい。そう頼まれたのだ。日本に来て、一番楽しかったのは、お伊勢参りをした時だったと言う。きっと彼が親孝行をしようと、彼女を伊勢に連れて行ったのだと思った。私は、何年先になるか分かりませんけど、と言い、ご遺骨を預かった。

 今回、思いがけず、鳥羽での散骨の依頼が入り、彼女との約束を果たす機会に恵まれた。ずっしり重い彼の遺骨の包みを伊勢の海に還し、何とも言えない悲しみに襲われた。

 先日も新宿で、ホームレスをしていた男性の遺骨をお預かりしたばかりだ。縁あって私たちが、海にお還しすることになった2つのご遺骨。来世があるなら、ひたすら幸せになってほしいと願わずにいられない。

 彼の母親は、この秋、ブラジルの長男の元へ帰ると言う。日本は異常な国になりつつあると最近思う。彼らにとっての母国とは、何だったのだろう。

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2003年9月16日

鳥羽のカモメ

 敬老の日の連休、私達は、三重県鳥羽市にいた。鳥羽へ来るのは、三度目である。

 最初は、ヨットで鹿児島を目指していた時に寄ったのだが、いろいろ地元の方に親切にしていただいた思い出がある。ヨット乗りにとって、鳥羽は、長く続いている大きなヨットレースが有名で、長年の憧れの地でもあった。レースに参加する機会はなかったが、その話は、いつもヨット仲間から聞いていた。普段仕事を持っている人にとって、長期のクルージングをする機会は、なかなかない。往復4,5日を要するこのレースは、勝ち負けの名誉だけでなく、大勢でロングクルージングをして、ヨット仲間の親睦を深めるお祭り的意味もあるのだ。

 島が多く、リアス式海岸の風光明媚な鳥羽の辺りは、入港が初めての人や慣れない人には、水路が複雑で難しい。最初に来た時、湾に入ってからもどこに船を着けたらいいか迷っている時に、地元のヨット乗りの酒屋さんが、前掛けを締めて配達の途中だったが、助けてくれたのだ。

 二度目のときは、車で来たのだが、散骨の開業準備のため、名古屋の葬儀関連業者に会いに来たのだった。そのときは、伊勢神宮にも案内してもらい、名物の伊勢うどんをご馳走になった。

 鳥羽の海は、何度来ても東京近郊にはない長閑な雰囲気が漂っていて、気持ちまでゆったりとし、日常を忘れてしまう。水は決して美しいとはいえないが、濃いお茶の色で、東京湾よりは大分いい。沢山のいかだが浮かび、それは牡蠣の養殖と釣り人のために設けられている。

 今回は、愛知からいらしたGさんのお父様の散骨だった。小さな2人のお孫さんを含め9人のお身内が1泊の旅行も兼ねていらしていた。台風14号の動きやその影響が心配されたが、夏のような陽気に澄み渡った空が美しい一日で、風はやや強かったものの、島に囲まれた海上の波は静かだった。ただ、この付近の船は、みな物凄いスピードで走っていて、その曳き波が大きく寄せてくる。

 沖縄戦で捕虜になっていたというGさんのお父様、その頃は、捕虜になってからの方が、食べ物なども良く、米兵と野球などをしたと言う。もう一度沖縄に行きたいと言ってらしたお父様のご遺骨を、せめて海に還し波に乗せる。Gさんは、お父様にジョン・レノンの『イマジン』を贈り、お父様が好きだったのだと思うが『王将』をリクエストした。

 帰路、チャーターした遊覧船の船長が、お孫さんたちのためにカモメを呼ぶサービスをしてくれた。用意してあった「かっぱえびせん」を撒くとそこかしこにいたカモメがいっせいに集まって来て船についてくる。向かい風の中、必死に船の横を同じ速度で飛んでいるカモメにみんな思わず拍手してしまう。子供も大人も大喜び、この明るさ、この和やかさが、本当に故人への供養になるのだといつも思う。

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2003年9月12日

船長の中の船長・・・3

 Yさんからの、お便りです

 

 日ごと天が高くなり、秋の気配が色濃くなってまいりました。

 船長ご夫妻には、お元気でご活躍のことと存じます。

 過日、8月29日、父、KAの海洋葬に於きましては、本当にありがとうございました。父も毎日仕事をしておりました海域に眠ることが出来、こんなに幸せなことはないと思います。

 当日はK(わが社スタッフ)さんと共に色々お心遣い頂き、私達家族にとっては、忘れられない素晴らしい、湾内クルーズとなりました。深く感謝申し上げます。

 当日のお写真送らせて頂増す。同封致しましたのは、以前つくった猫ハガキセットです。何かの折、お使い頂ければ幸いです。

 それでは、皆さまお体には充分気をつけられ、益々のご活躍を!

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2003年9月12日

船長の中の船長・・・2

 「船長の中の船長」の日本画家のお嬢さんYさんから、お手紙と散骨時の写真、ご自分の作品の絵葉書を受け取りました。日誌への掲載をメールにてお願いしました。下記は頂いた返信です。

 

 早速にメールをありがとうございました。手紙どうぞ御自由にお使いくださいませ。

 私は個人的には以前より、数ある動物の中で、人だけが遺骸に執着することが、不思議でなりませんでした。『各国に一本ガンジス川があればよいのに』と思っているくらいですので、お役にたてればとても嬉しいです。

 父は若い頃から「海」一筋の人間でしたので、本人もきっとあちらで満足していることと思います。発病から最期まで泣き言一つ言わずギリギリまで元気に仕事をし、後の段取りを全部組んであちらに行きました。我が父ながら、なかなかあっぱれな最期だったと思います。

 母はこれまた父一筋、私たち子供から見ても、大変仲の良い夫婦でした。父帰幽時の混乱や後の落ち込み様は、見ていられない位でしたが、半年が経過してようやく落ち着きを取り戻して来た様です。散骨に際しては、スタッフの方たちの温かいお人柄に触れ、(また当日も良い日和でした!)本当に慰められたと思います。改めて御礼申しあげます。

 昨日は本当に蒸し暑い日でした。十五夜の月の出は、月から雫が滴るようでしたが、夜半には冴えざえと中天に浮かんであたりを照らしていました。連日月明かりの美しい日が続きましたが、海上の月も格別だったことでしょう!美しい月には何か特別な力が潜んでいそうでワクワクします。

 また暑い日が続くようですが、どうぞお体に気を付けられ、皆様お元気でご活躍下さいますよう。それでは。

:Y

追伸:お察しの通りgekkoteiは月光亭です。只の猫馬鹿です。絵葉書気にいって頂けて光栄です。勝手に我が家を黒猫月光亭と呼んで嬉しがっております。

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2003年9月8日

船長の中の船長

 8月29日(金曜日)横浜港と君津を見通す線上、東京湾内で散骨をした。故人Aさんは、「パイロット(水先案内人)」をしていたという。パイロットは、一定以上の大型船を東京湾入り口、久里浜沖で操船の権限を当該船長より引継ぎ、安全に航行し、離岸、着岸させるのが任務である。パイロットになるには、大型船の船長を長く経験しなければならないと聞く。

 打ち合わせに伺った折、ご子息が話して下さったのだが、少年時代、父親の船を訪ね、整頓された船長室とキビキビ働く船員たちに父親の偉大さを感じたという。仏壇の横には力強いタッチのバラを描いた日本画が掛けてある。お嬢さんの作である。ご子息の入れてくれた香りの良いコーヒーに、美術談義も楽しい打ち合わせだった。

 散骨当日、心配された海は、穏やかだった。仕事場であった東京湾、横浜沖、奥様が持参されたCDのリクエスト曲は、『ヘッドライト・テールライト』、NHKの人気番組『プロジェクトX』のエンディングの曲である。病床でいつも聞いてらしたという中島みゆきのその曲が、その海上に妙に似合っていた。

 今日、Aさんの奥様からお手紙を頂き、日誌への掲載の承諾を頂ました。

 

 前略、ごめんください。

チャート入りの証明書、有り難うございました。仕事のエリアを確かめましたところ、ベイサイドマリーナ北側にあたり迄とか、ピッタリのポイントで夫も大満足しておりましょう。

 遺言はこの六ヶ月余、私にとりまして、とても重いものでございました。しかし、船長ご夫妻との出会いで全て払拭され、当日を迎えることが出来ました。

 夏の陽射しのもと色とりどりの花の中、静かに海に抱かれていく美しい情景、目に焼きついて居ります。心より感謝申し上げます。

 いずれ私にも訪れるその時は、同じにと思ったりしております。では、どうぞ御自愛の上、お元気でお過ごし下さいませ。

             かしこ

 

 横浜港と君津港を担当していたAさん、これからも海域の安全を見守って下さい。筋金入りの「船長の中の船長」の散骨は、私(船長)も緊張しました。奥様によると「詰めが甘い!」がAさんの口癖だったそうです。ご冥福をお祈りいたします。

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2003年9月5日

イタリアンもショパンも、夏の海の贅沢

 この日誌にもたびたび登場する油壺の入江、ここは東京近郊でも有数の別天地、特別な場所である。

 夏の日、入江に船を浮かべ、冷えた白ワインなどと一緒に、美味しいアンティパストをいただく。水の上を涼やかな風が走る。緑に囲まれた池のような海面は、あくまでも静かである。

 今回散骨された、Wさんの奥様は物事にこだわらない、明るい性格の洒落た方である。亡き旦那様のご遺志である散骨を、「ただ海に撒いて帰るだけではなく・・・」と、散骨後、船でお食事をと依頼があった。

 船で、イタリアンの企画は2度目である。但し、前回は天候も悪くマリーナに着いてからの食事となった。新宿御苑にある「タベルナ・ロッサーナ」のイタリアンは、何度足を運んでも、わざわざ行っただけのことがある満足度で、その美味しさにはいつも感動してしまう。勿論ワインも美味しく、値段も手頃?である。

 今回は、土曜日の昼ということで、オーナーソムリエ、立石さん自ら出張して下さった。数々の趣向をこらしたお料理に、プロのサーブが加わり、贅沢この上ない。

 本当ならば、船の上で、ガラスのワイングラスに磁器のお皿など考えられない、それだけに走る時の注意は大変なのだが。夢のような素敵な時間を作り出すためなら、少々の努力は惜しまない。

 さて、今回の散骨のWさんとも不思議なご縁があった。ご長男の同窓生の一人は船長の親友、また、ご長男の上司二人までもが、私の高校の先輩だった。本当に世間は狭い。おまけに、ご長男は、生年月日が私と1日違いであった。

 Wさんのご遺骨は、ご家族とご親戚で、鎌倉沖に、ショパンのワルツに乗せて海に還された。ご遺骨の一部は、すでにハワイのマウイ島の山にも散骨されており、さらに一部は、奥様のペンダントに、そしてメモリアル・オブジェに入れてご自宅にも置かれる予定である。

 奥様の思い出の曲は、ショパンのワルツ作品64-2。ご長男によると、「その曲、いつも夫婦喧嘩の後、淋しそうな顔して弾いていた曲じゃない。」ということであった。

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