お客様の声(風の日誌)

散骨式などのエピソードを読める「風の日誌」を過去のものから全てを掲載しています。過去のものは右の目次からどうぞ。

2007年11月

2007/11/26 お母さんを守って
2007/11/26 救急車の中で
2007/11/26 「後悔したくないんです・・・」
2007/11/19 お墓の暗い下にいると思うと気が滅入りますが・・・
2007/11/15 母はそれでも凄まじい情熱をもって
2007/11/15 母なる海に帰れた彼女は幸せでした
2007/11/15 妻の骨壷を車に乗せ、ドライブして来ます。
2007/11/15 「私のときもお父さんと同じようにしてね・・・」と
2007/11/15 余り、形式を好まない人でしたので・・・
2007/11/15 生前なにかの折に「それもいいな・・・」

2007年11月26日

お母さんを守って

働き盛りで、亡くなった方の散骨が続く。三島から新幹線で横浜まで通っていらしたMさんは50歳、職場でも人望があり、影響力の大きかった人だと聞く。葬儀にも300人位の友人や職場の人たちが集まり、皆で飲み明かし泣いたという。

海洋葬では船の定員があり、乗れなかった人たちは葉山の桟橋で見送り、散骨後のお別れ会に参加された。

世話役の部下の方は、「昨日も午前3時まで飲んでいました」という。皆、お別れが辛くて、その理不尽さがたまらないのだ。

奥様は、おっとりとしたとても可愛く綺麗な方で、悲しさを表に出さず、普通を装っていらっしゃる。丁度、七七日ということで、これから更に実感が湧いてくるのかもしれない。いろいろ大変でしょうと云うと、高校と大学のお嬢さんがしっかりしていて助かるとおっしゃっていらした。

下のお嬢さんは、空手を習い始めたそうだ。ラグビーをなさっていて、お酒が強く、豪快だったというお父様に代わって、しっかりお母様を守ろうと思っているのだ。最後にお父様と約束したのかもしれない、お母様を守ると。

そのMさんの奥様からお便りを頂きました。

 

Mさんからの手紙

拝啓

先日は大変お世話になりました。東京事務所へ遺骨を届けた時、初めて北田さんとお会いし、北田さんの営業っぽさのない温かなお人柄に、安心してお願いできるなと、感じました。

当日、スタッフの皆さんも、きめ細かい温かなケアをして下さり、とても心地よかったです。お天気は少し残念でしたが、主人が希望していた通り相模湾に散骨ができてホッとしています。

散骨後の会食会では、「お骨やお墓はないけれどたくさんの思い出はそれぞれの心に残っていく・・・」という事で、集まってくれた職場のメンバーとラグビー仲間が1人づつ主人との思い出話を聞かせてくれました。笑いあり、涙ありで、とても楽しいひとときでした。

きっと主人も喜んでくれたと思います。

本当にいい時間をありがとうございました。49日が過ぎ、少しづつ遺品の整理を始めました。「本当にいなくなっちゃったんだな・・・と実感している今日この頃です。

                             かしこ

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2007年11月26日

救急車の中で

今年は、異常なことにマリーナの中に何十万、何百万という鰯の群れが入ってきた。オーバーに聞こえるかも知れないが、まさに夥しい数の鰯が、マリーナの桟橋の下の海中に重なるように、また黒い川のように生息していた。

あまりの数の多さに、これは釣らない方は無いということで、サビキを入れると多いときは、一度に5匹もかかる。そして、鰯だけでなく、タナゴは元から多いのだが、その下にはアジもいるし、キスもふぐもアイナメもカワハギもいる。元からいる大きい鱸や黒鯛は、悠々とこれ見よがしに泳いでいるが、簡単には釣れない。

うちには、魚好きの猫が1匹いる。魚好きの猫という言い方は、おかしいと思うだろうが、最近の猫はキャットフードに慣れ、魚に全然興味を示さない猫も多いのだ。うちでも他の2匹は全然食べようともしない。漁港で拾った時雨ちゃんだけが、いつもキッチンで足元にスリスリして騒ぐ。

その時雨ちゃんのために、そして城ヶ島公園の野良猫のために鰯釣りを始め、凝ってしまった。多いときは100匹も釣れ、後始末が大変だ。知り合いのレストランに配ったり、夜中まで鰯と格闘する。はまっているのは、オイルサーディンとエスカベッシュ。どちらも保存が利いて美味しい。青魚が苦手の私でも美味しいと思う。

そんなある日、船長が大きなメバルを釣った。その日は、カワハギやアイナメも釣れ、豪華な夕食になりそうだった。早速刺身にと、船長が包丁をふるう。

しばらくして、「イテテ!!」と船長の声、包丁で指でも切ったかと思いきや、メバルの背ビレの棘が刺さったのだと云う。中指がしびれて痛むと云う。大急ぎで、魚屋の友だちに電話するが出ない。仕方なくメールをすると、お酢を煮立ててその中に指を入れろという。熱くても我慢とのこと。とにかく試してみる。そのうち、右腕は肩まで痺れ、めまいと吐気が船長を襲った。友だちにメールで伝えると、「急いで病院へ行った方が良い」と来た。

夜の7時、とりあえず「119」する。魚の棘くらいで救急車を呼んでいいのか分からなかったが、消防署の人に聞こうとすると、とりあえず救急車を出動させるという。話はそれからということになった。

シャツとパンツで調理していた船長に、とりあえず作務衣を着せているところへ救急車が着いた。体重90キロの船長を担架に乗せ、救急隊員3人で運んでいく。私はガスを消し、戸締りをし、お財布と船長の上着とゴムぞうりを持って後を追う。

何が起きているのか分からず不安である。命に別状はないだろうが、何が起きても不思議はない。揺れる救急車の中で、いつか遠くない将来、こんなことも起きるのだと思う。そして、私たちのところに来たご家族のことを思った。みんな心細い思いをして付き添っていたんだろうなと。ふと、人の運命、生きることの宿命のようなものを考えずにいられない。

さて、病院に着き、吐気止めを注入した点滴すること1時間、無事帰ってくることができた。神経束を刺された痛みのショックで、症状が出たとのことである。とにかく、大事に至らず良かったし、救急隊の方たちにひたすら感謝である。

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2007年11月26日

「後悔したくないんです・・・」

11月23日葉山沖で合同散骨が行われた。2家族が参加され、1家族がお見送りに来られ、4名のご遺骨が委託で任された。

埼玉から、家族5人で見送られたMKさんは、去年の12月27日に62歳の旦那様を亡くされたのだが、まだ自分の手で海に還すのは辛いという。

若いご夫婦は生後2時間で亡くなった赤ちゃんの遺骨を持って来られた。亡くなってからの2年半、奥さんのAさんにとってはかなり辛い日々だったという。散骨を決めてからも旦那様の賛成を得るまでかなりの時間がかかった。

先日、船にいらしていろいろお話を伺い、私たちの話にも納得して頂き、今回の合同散骨に参加されたのだ。「絶対に後悔したくないんです」と彼女は言って、かなり慎重に業者選びもされたようだ。

私たちも絶対に後悔してほしくないと思い、細かいことまで思いつく限りのことはした。赤ちゃんにふさわしく、彼女の慰めになるようなことを。かわいらしい花、ガーベラやチューリップはあったが、スイトピーはまだ無かったので、鉢植えのパンジーとデージーをあしらう。ミルクも紙パックは何となく嫌で、瓶にこだわった。そして彼女の選んだ曲は「tiny baby」軽い曲調が、重苦しさを和らげてくれる。

鎌倉からいらしたやはり若いご夫婦と高齢のお父様は、3年前に71歳で亡くなったお母様の散骨である。若い頃に米軍のベースで働いていらしたこともあるというお母様は、ハイカラでコカ・コーラが好きだったそうだ。赤ワインとコーラを海に還す。音楽はマレーネ・ディートリッヒで「リリー・マルレーン」、紫を中心のシックな花で送る。84歳のお父様は体格もよく、とてもお年を感じさせないが、この次は私をも同じ場所にと頼まれる。

さて、5名の委託の方、「サン・トワ・マミー」の72歳だったIさんから始める。赤いバラに焼酎。

次に95歳で亡くなったTさん、老人ホームの奥様から「人生の並木道」「荒城の月」を頼まれた。海軍で逗子によくいたのだという。

そして身寄りの無かったKTさんは甥の方から日本酒のみの依頼。

50歳で亡くなったMさんには、テレサ・テン「時の流れに身を任せ」とビール。彼も親族は分からない。同居の方の申込だった。最近、そういう方が目立つ。

最後にお見送りにいらしていたMKさんの旦那様に「いい日旅立ち」を流し、日本酒を捧げる。

この日相模湾は、富士山こそ見えなかったが、良いお天気で海上も比較的穏やかだった。

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2007年11月19日

お墓の暗い下にいると思うと気が滅入りますが・・・

石川さんは本名での掲載を希望されました。

 

先日11月3日の真鶴沖での両親の散骨では大変お世話になりました。

本当に素晴らしいセレモニーを企画してくださって、我々家族、参列して下さった親族・お友達も感激しておりました。天気の心配の他に、様々な問題・わがままを聞いて下さり、全てクリアーして下さった船長ご夫妻に感謝しております。

お墓の暗い下にいると思うと気が滅入りますが、両親が大好きだった真鶴の海に二人でいると思うだけで、心が晴れますし、これから頑張って生きて行こう、と言う気持ちになれます。

「風」様がこれからも私たちのような気持ちを持った方々の力になって下さり、環境問題を含め古い風習が少しでもなくなる事を祈っています。

ほんとうにありがとうございました。散骨を希望し、「風」様にお願いし良かったと心より思っております。

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2007年11月15日

母はそれでも凄まじい情熱をもって

立冬もすぎ、めっきり日脚も短くなりました。

さっそくご返事を差し上げるところ、心ならずも遅くなってしまい申し訳ございません。

今回、海洋葬とおうかたちで父を送ることができ、本当に良かったと思いました。父も安心して次の場所へと旅立って行ったことと思います。あの日、私たちもまた、三崎の海へ来ることを約束しあいました。

父の病気は脊椎小脳変性症という小脳が萎縮していくもので、運動系統にうまく命令が伝わらなくなる病気です。病を宣告されて床漬けになるまでの8年の闘病生活だったわけですが、母はいつも希望をもって介護を心から楽しんでやっていました。父は幸せだったと思います。

じょじょに喋れなくなり、立てなくなり、口で食することも排便さえ困難になっていきました。信じられないことですが、母はそれでも凄まじい情熱をもって、父の苦痛を回避することに全身全霊をかけていました。往々にしてヘルパーさんや看護師さんは雑で乱暴な扱い方になってしまうのですが、そんな時でも母は冷静にケアを再調整して、時に優しく教育の場を持って指導したりしておりました。

父はいつも穏やかでした。亡くなるその日も病状は始めは安定していたらしいので、病室に午後早く着いた母を、片時も見逃すまいと、いつもより茶目っ気たっぷりで目で追っていたそうです。

だいぶ長々と書いてしまいました。本当に良い出会い、お別れを作っていただきました。とてもハードな仕事だとおもいますが、どうぞ、これからもがんばってください。向寒の折、いっそうのご自愛をお祈り申し上げます。有難う御座いました。

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2007年11月15日

母なる海に帰れた彼女は幸せでした

10月29日、散骨証明書確かに受領いたしました。

それに、思い出に残る写真に数々、その日を昨日のように思い出しながら話がはずみました。心のこもった、お見送り、心から感謝申し上げます。

初めての経験でしたが、人間が海から生まれ、又海に帰って行くことの意味が実感できる一刻でした。母なる海に帰れた彼女は幸せでしたし、それを共に過ごせた私どもも至福の一日でした。

広漠たる海原を見るとき、今迄と違った感慨にふける事ができるのではと思って居ります。
光に輝く海面に散りばめられた散華を見るとき、彼女の喜びの声を聞く思いがしました。

本当に有難う御座いました。ご一緒された「風」の皆様によろしくお伝え下さい。

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2007年11月15日

妻の骨壷を車に乗せ、ドライブして来ます。

佐藤良太さんからのお便りです。実名での掲載を希望されました。

前略
今回の散骨で大変に世話になり、有難うございました。

御社にご厄介になり、本当に良かったと家族も話しております。思ったより立派な船で、船酔いする人もなく、ほっとしております。

なにぶんにも散骨まではと、気をはっていましたので、あの日から次の目標が見当たりません。来月、犬と墓参りならぬ海参りをしたいと考えています。その時は、又、電話します。よろしく願います。

追伸
家の中では、犬2匹が寝ています。これから、買い物にでも行ってきます。妻の骨壷を車に乗せ、ドライブして来ます。

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2007年11月15日

「私のときもお父さんと同じようにしてね・・・」と

7月に故Sの葬儀でお世話になりました。

海洋葬当日は、天気が心配されましたが、無事に薄日が射し、気持ちの良い風が吹く日となりましたね。

海洋葬は、母が希望しておりました。父が海上自衛隊で長年勤務してきた東京湾に、お骨を沈めてあげたいという想いでした。今まで経験の無い海への散骨を、父にとって良い供養になるように、また遺族にとっても大切な心に残る悔いのない形で行いたいと調べていたところ「風」さんのHPに出会えました。

HPの今まで行われた葬儀の日誌を読み、それぞれの方の気持ちを大事にしてくださる「風」さんにぜひお願いしたいと思いました。

お骨はきれいな白い紙に包まれ、バラの花が添えてありましたね。父と母は、横須賀芸術劇場で定期的に行われていた日本のオーケストラと米海軍バンドの競演を、よく楽しみに聴きに行っていたのですが、その思い出から、「威風堂々」と「ムーンライトセレナーデ」の曲を散骨の時の音楽にさせていただきました。

曲が静かに流れる中、お骨が深く海に沈んでいく様子をみていると、大きな自然の中にまた帰っていく生命の流れを、素直に感じることができました。父が亡くなったという事実を自然に受け入れることができました。

父の看護で腰を痛めた母は、乗船することができなかったため、散骨当日の様子を私たちがビデオに撮り、後から母と子供たち、孫達と一緒に見る機会を持ちました。母は静かに波間に浮かぶ色とりどりの花の揺れる様子を見ながら、「私のときもお父さんと同じようにしてね・・・」と話しておりました。

「風」さんのおかげで、心温まる落ち着いた葬儀をすることができました。スタッフの皆さんのご配慮に心から感謝いたします。どうもありがとうございました。

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2007年11月15日

余り、形式を好まない人でしたので・・・

庭のホトトギスも花をつけ、楽しませてくれるこの頃となりました。

10月5日は、亡夫Fの遺骨につきまして、細やかなお心配りを頂、無事、自然界の大海原にお返しすることが出来、心から感謝致しております。天気にも恵まれ、穏やかな海で行われ、良かったと存じます。

日頃より、自然葬を望んでおりました主人もきっと、満足し、喜んでいる事でしょう。余り、形式を好まない人でしたので・・・。責任を感じておりました息子も、これで、安心している様子が伺えます。これからは息子共々、心の内に納め、心豊かな、暖かな毎日を過ごしたいと願っております。

人は、自然の中で生きる一部分を示すだけに、素直に、そして、感謝して、残された、私共も助け合って生きていこうと存じます。

色々とお世話様になり、ありがとう存じました。ご健康に恵まれ、ご活躍の程、心よりお祈り申し上げます。

感謝をこめて
                      かしこ

追伸
散骨の日、船内で貴女様から、とても良いお話を伺いまして、感激しました。それは、身内の方達が、身内を失い、望みを失っている折に、心理的なケアをしたいと考え、現在大学、大学院で心理学を学んでいると申されたことです。素晴らしい事です。どうぞお励みくださいませ。

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2007年11月15日

生前なにかの折に「それもいいな・・・」

厳しい暑さも落ち着き、秋の気配を感じるようになりました。8月は大変お世話になりました。また、大幅に遅刻し申し訳ありませんでした。自然葬の後、新盆を終え10月7日に一周忌を終えました。10月10日で一年、思えば本当に突然の別れでした。

義父は穏やかで働き者で、去年9月に倒れるまで仕事をし、近所の畑で野菜を作っていました。大きな病気もなく長生きすると誰もが思っていました。暑い中、畑で具合が悪くなり、始めは熱中症と診断され、そのまま家に戻ったのですが、体の中は大変な事になっていました。

緊急入院してときには、意識もあり、いつ帰れるのかと自分で聞いていたのですか、心臓の機能は半分以下、手の施しようが無いと宣告されました。心筋梗塞でした。家族は現実を受け止めるのが精一杯、何か良い方法ないものか悩みました。入院から約一ヶ月、話せたのは2日だけ、おそらく義父も最期のことなど考える間も無く、お別れとなりました。

今回の自然葬は義父がはっきり意志として残したわけではなく、生前なにかの折に「それもいいな・・・」と冗談ぽく言った程度だったそうです。長男である夫は、普段、宗教を意識しているわけでもなく、墓にこだわる事に違和感があり、散骨を提案しました。

義母は最初はかなり抵抗があったようですし、義姉も遺骨が無くなるのは淋しいということで決めるのに時間が掛かりました。しかし、いつまでも決まらず家族でゴタゴタしているほうが故人がうかばれないし、自分たちの気持ちが大切ではないかいうことになりました。義母も息子の意見を尊重する形となりました。

自然葬を終えてから、義母と義姉は、心のこもったお見送りになって良かったと言っております。特に船長夫妻の暖かい人柄触れて感激したようです。「もっと事務的に事が進むのかと思っていたわ・・・」と義母が申しておりました。幸いにも、義母は沈み込むこともなく、生前、義父にあきれられていた韓国ドラマを見て過ごしています。義姉も私たち夫婦も日常に戻りつつ、時々、義父のことを思い出しています。

砕かれた遺骨が思いのほか重くてジーンとしました。娘も時々「おじいちゃんのお骨、お船で流したよね。また、おじいちゃん生まれてくるといいね・・・」といいます。3才ですが、すこしでも記憶に残っていると良いなと思っています。

今回の手紙は、義母も「よろしく伝えてね・・・」と言っておりました。家族全員、満足できた自然葬でした。本当に有難う御座いました。尚返信が大変遅くなりましたことを、お詫び申し上げます。これから、ますます秋が深まってきます。船長ご夫妻も海に出られるお仕事ですので、どうかお体に気をつけて下さい。長々と書いてしまいましたことお許し下さい。

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