お客様の声(風の日誌)

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2009年8月

2009/08/01 45名の親戚たちと清水沖で旦那様を散骨なさった望月さんからお手紙を頂きました
2009/08/01 清水沖合同散骨に参加された方からお手紙を頂きました
2009/08/01 清水沖合同散骨に参加された方からお手紙を頂きました

2009年8月1日

45名の親戚たちと清水沖で旦那様を散骨なさった望月さんからお手紙を頂きました

望月さんは、日本経済新聞8月11日夕刊の取材も快く応じてくださいました。

(了解を得て掲載しています)

拝啓
先日は大勢で大変お世話になりました。
お陰様でにぎやかにだけど、厳かにとても心に残る葬送の儀式が出来たと思います。貴社にお願いして本当に良かったです。ありがとうございました。

(妹からの手紙の一部です)
将照お兄さんを慕う沢山の人々が清水に集まりました。真紅のバラと真白なかすみ草が波間に見えなんとも美しかったのが印象的でした。
写真も沢山撮って頂いてありがとうございます。  敬具

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2009年8月1日

清水沖合同散骨に参加された方からお手紙を頂きました

(了解を得て掲載しています)

拝啓
先日は大変お世話になりありがとうございました。
天候にも恵まれて無事にお別れができました。泣かずに送ろうと思っていましたが無理でした。北田さんのやさしい言葉がとてもなぐさめになりました。スタッフの皆様と北田様ご夫妻の温かいお心遣いに感謝の気持ちでいっぱいです。

子供と二人だけの旅は初めてで、泣いたり笑ったりの珍道中になりました。浜松のタワーホテルに泊まり清水で回転していないおスシを食べ、御前崎でバスが無くてとほうにくれて子供とケンカ、おまけに大雨でズブヌレ、散骨もふくめ忘れられない旅行になりました。

今はすべて片付き落ちつきを取りもどしつつあります。思い返せば去年の8月に仕事先で転落事故にあい、首の骨折という命を落としてもおかしくないほどの大ケガをして入院、キセキ的に神経は無キズで首に金属を入れ固定手術、外科の先生も驚くほどの快復をしたのですが、内科で肝がんが見つかりC型肝炎、肝硬変を併発していて絶望的な状況でした。若い時にケガで輸血をしていたのが原因と思われます。その時も死ぬほどの大ケガで大出血したそうです。運がいいのか悪いのかわからない人です。

治療のかいもなく今年の2月に肺に転移がみつかり末期になりました。本人には知らせずに好きなようにさせていました。食欲もあり元気で動作はゆっくりでつえも必要でしたが車の運転もでき一人で外出もできました。釣りをして、畑も作って、家族旅行にも行きました。亡くなる三日前までそんなふうに過ごせていたんです。でも、風邪をひいて入院してたったの三日で去ってしまいました。

本当なら去年の8月に亡くなっていたのかもしれない。でもそれじゃ私たちが立ち直れないからこの10ヶ月間、私に覚悟をさせるため主人が長いお別れをしていたのかもと思っています。心の準備は一応できていましたし、自分なりに出来る事はやったつもりですが、それでも後悔の涙は止まりません。

こんなに早くいくなんて思っていなかったし、信じられない、あんなに元気で外出していたのに、やさしい人でしたが、欠点も多い人でよくケンカして病人とわかっていても本気で怒ってしまいました。息子が「一日だけでいいからパパに会いたいね」と言い私を泣かせました。子供なりに現実を受け入れてはいますが、まだパパは病院に入院していると、さっかくしている時もあるんです。本当に一日だけでも会いたいです。うんとやさしくして、おいしい物をたくさん食べさせてあげたい。もうおそいけど。

エピソードをひとつ聞いてください。4月だったと思いますけど、昔着ていたウエットスーツを天袋から出してくれと言うんです。「なんで?」と私。「やせたから着れるかもしれない」と主人。「そんなモン着てどうする気?」と私。もちろん出しませんでした。結局それで貝の密漁をする気だったんです。無茶にもほどがある、しかも違法。うちの主人はすべてこの調子で良くいえばチャレンジャー、悪く言えば考えなしの無法者でしたね。困った人でした(笑)。だから海洋散骨は主人にピッタリだと私は思います。しかもなつかしい静岡の海に帰れたんですから。今頃は海の中を気ままに旅していることでしょう。もう痛みや苦しみや不安や責任やすべての事から解放され自由になれたんですから。

証明書を見ながら思いつくままに書いていたら長くなりました。しかも乱筆乱文で申し訳ありません。私と子供は強くはありませんが、いくらかユーモアがあるので大丈夫です。二人で協力して生きてゆきます。また手紙書きますね。
皆様お体を大切にこれからもがんばってください。本当にありがとうございました。
敬具

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2009年8月1日

清水沖合同散骨に参加された方からお手紙を頂きました

(了解を得て掲載しています)

風スタッフ一同様

まだまだ残暑もきびしい日が続いております。先日は亡き母の散骨を無事に済ませていただき、ありがとうございました。
実家の方に証明書が届いたと姉からも連絡があり、本当にありがとうございました。

2月28日に母を看取り、今年は生と死を学ばせていただく年のようで、7月29日には末娘が亡母にとって3人目となるひ孫を出産しました。8月1日の散骨を前に7月29日にひ孫の出産を見届け、旅立ったように思えてなりません。妊娠中の末娘は通夜や葬式もおなかの子に障ってはいけないと、控え室にて過ごさせていました。その際にもきっと母は末娘のことを気使いお経をあげてくれている間にも控室の方にいたにちがいないと家族一同感じておりました。その出産を待ってからの散骨となり、母に見守られながら無事ひ孫の出産も見届けることができたと思います。本当にありがとうございました。

偶然にも(必然だったかもしれませんが・・)清水港での散骨をインターネットでみつけ、以前より父が自分の時は海への散骨を希望しており母一人をさみしく墓に入れることもできずどうしたものかと思っていた所にみつけた記事でした。
当日は暑い中、富士山がみえなかったことが少し残念でしたが、ふるさとの清水の海に無事散骨することもでき、いずれは父も同じ海にかえることを望んでもおります。
その時はまた!?(しばらくはないことをいのっていますが)よろしくお願いします。

同乗していた方はまだ子供さんも小さく、心残りがあったのではないかと思います。私も看護師という仕事柄多くの方を看取らせていただいていますが、身近かな母を看取るこの時のため自分は看護師になったのだと。最期の時を迎えながらその役目に気持ちを新たにしております。

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