お客様の声(風の日誌)

散骨式などのエピソードを読める「風の日誌」を過去のものから全てを掲載しています。過去のものは右の目次からどうぞ。

2004年4月

2004/04/28 ゼラニウムとレクイエム・・・3
2004/04/28 ゼラニウムとレクイエム・・・2
2004/04/23 ゼラニウムとレクイエム
2004/04/21 桜の海、瀬戸内海松山沖で・・・6
2004/04/21 イルカと共に永遠に・・・13(名残の桜、油壺とお花見弁当)
2004/04/21 イルカと共に永遠に・・・12(名残の桜、油壺とお花見弁当)
2004/04/21 春の日に、お天気万歳!!
2004/04/16 偶然の一緒・・・3
2004/04/14 偶然の一緒・・・2
2004/04/14 偶然の一緒・・・1
2004/04/14 大根の花とキャベツの花
2004/04/14 桜の海、瀬戸内海松山沖で・・・5
2004/04/14 桜の海、瀬戸内海松山沖で・・・4
2004/04/11 世界中の海が母の墓
2004/04/11 桜の海、瀬戸内海松山沖で・・・3
2004/04/11 桜の海、瀬戸内海松山沖で・・・2
2004/04/11 桜の海、瀬戸内海松山沖で・・・1

2004年4月28日

ゼラニウムとレクイエム・・・3

 旦那様の散骨をされた、Sさんの承諾を得、「散骨依頼書」の一部を掲載します。

 「散骨の動機」
子供が居ないので、死後の慰霊のための迷惑を、誰にもかけたくない。教会に所属しない自分流のカトリック者で、宗教的柵(しがらみ)を持たない。愛媛県港湾課長、千葉県建設部長(特に千葉県、東京湾岸開発の際の担当)。8年前、死を覚悟した時から、「できれば海に!」と願ってきた。

 「どのような雰囲気で行いたいですか?」
 特に本人が、役人として手がけた、東京湾岸の仕事をしのび、永遠に、この海に眠ることができるのは「よかったですね・・・」と語りかけたい。

 「故人の人柄、思い出など差し支えなければ・・・」
 真面目、慎重、自己に厳しい。8年前、突然の末期ガン告知。脳梗塞、骨髄性白血病と発病してゆくが、その間入院は三回、計三ヶ月のみ、在宅療養に徹し、理想としてきた臨終は、「自宅で妻と二人だけで・・・」を実行した。

 そのためには、少々の痛みには耐え、自分の事はなるべく自分でするよう最大の努力をした。思い起こすと、妻である私には、本当に「やさしい人」でした。本人の闘病、お別れ式、散骨など、できれば一冊の本として、自費出版の予定です。

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2004年4月28日

ゼラニウムとレクイエム・・・2

 4月16日の合同散骨に参加された、Sさんからお手紙を頂きました。承諾を得、掲載します。
 このたびは、立派な「海洋葬実施証明書」を、ありがとうございました。

 散骨の当日、「あれが鋸山」と云われ、少々山歩きをしてきた私は、登ってはいないけれど大体の見当はつきました。千葉県の海岸を眺められる海に還ることができたのは、本人にとり本望だと思います。

 その後、二つばかりの会合に出席し、散骨の話をしましたが、皆さん大変関心をもって居られるのがよくわかり、小冊子ができたら、是非と云われています。

 御夫婦による暖かい散骨式、本当にありがとうございました。

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2004年4月23日

ゼラニウムとレクイエム

 Sさんは今、旦那様との思い出を執筆中である。お子様のいないSさんにとって旦那様とのお別れは、本当に辛く寂しいことであったと思う。その50年近い歴史をしたためているのである。それは配偶者を亡くした方の立ち直りには、最も良い方法だと思われる。

 以前から4月頃、暖かくなったらと依頼されていた。希望の花はゼラニウム。私もゼラニウムは好きだ。何となくパリの窓辺を思い出す。白い壁に赤い花が良く似合うパリの裏通り。でも、ゼラニウムも難しい。切り花では売っていないからだ。家の庭にもプランターに手入れをしていないゼラニウムが冬を越し、また花をつけて美しい。この花は本当に強くて、水を上げ忘れていても、肥料もあげないのに、いつも立派に花をつける。花が咲いて、ゴメンナサイとあやまりたくなる。冬の間、あまり庭に出なくて忘れていました。

 最近、三浦を散歩していても、緑の力の偉大さを思い知らされるのだが、春から初夏への変わり目は、雑木林の新緑に瑞々しいパワーをもらっているようで、気分が本当に清々しい。さて、ゼラニウムも何とか揃えたいと、横須賀のガーデニングの店など周り、しばらくプランターで育てることにした。

 そして、4月16日、ゼラニウムは、紫陽花のように小さな花の集合で、ひとつひとつにバラバラにしてしまうと、ゼラニウムらしくなくなってしまう。それで、房状に花を切ると、下のほうに蕾がたくさん付いている。そして、咲いている花は一部枯れかけていて、ちょっと見た目が悪い。次々に花が交代して咲くのだから仕方がない。特にご希望の赤が著しくて困ったが、ちょっと目をつぶることにして、ピンクや白も入れ、なんとか間に合わせることができた。

 Sさんは今日流すためにフォーレの「レクイエム」をお持ちになった。私は、あまり詳しくなくて、この曲のことも知らなかったのだが、あの「日野原先生」も自分の葬儀には、この曲を流してほしいと仰っていたのだ。

 Sさんが旦那様のご遺骨を海に還すとき、お花を蒔きながら「あなたの好きなゼラニウムよ」と涙ながらに仰っていたのが印象的だった。

 そしてもう一組、Kさん母子のリクエストは、ショパンの「ノクターン」である。この曲は、船長の大好きな曲で、結婚した頃はよく、自衛隊にいた時に夜、ショパンのノクターンを聴いて泣いたという話をしてくれた。だから、演奏者についてもうるさい。

 絶対にA・ルービンシュタインでなきゃだめだという。その弾き方の絶妙な間が彼の感性をくすぐる様だ。そして未だに、聴くたびにため息が出てしまうのだが、私も感化され気持ちが満たされて、うっとり聞惚れる。因みに今回は、「夜想曲11番」をおかけした。

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2004年4月21日

桜の海、瀬戸内海松山沖で・・・6

 お父様の散骨を松山沖でされた、Eさんからお手紙と写真を頂きました。承諾を得、掲載します。

 

 初夏を思わせる陽気の今日このごろ、いかがおすごしでしょうか。

 先日は父の散骨式を行って頂き、ありがとうございました。心配していた天気にも恵まれ、家族全員が参加できたことが、何よりも良かったと思います。

 娘達も貴重な体験をすることができました。離れていて、いつも孫達の成長を楽しみにしていた父ですので、これからも、ずっと見守り続けてくれると信じています。

 とても短い時間でしたが、お二人の温かなお人柄が伝わってきました。母も素敵な方と知り合えたことを大変喜んでいました。

 父の発病以来、私からは想像できないくらい、つらい日々を過ごしてきたでしょうから、父の願いをかなえてあげることができて、少し、ほっとしたのではないかと思います。

 又お会いする日を楽しみにしています。今度はぜひゆっくりお話したいです。福岡へいらっしゃることが有りましたら、ご連絡下さい。

 感謝の気持ちをこめて・・・

 P.S.お二人の写真、なかなかよかったので同封します。

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2004年4月21日

イルカと共に永遠に・・・13(名残の桜、油壺とお花見弁当)

Tさんから、お手紙を頂きました。了承を得、掲載します。

船長、奥様
 昨日は、長い時間を有難うございました。今、Hの散骨一周年を終えた安堵に包まれています。

散骨地点まで、同じコースを通り、同じ曲をかけて頂き、花を手向け「一年待たせたね、また逢いに来ましたよ・・・」と思いを伝える事が出来ました。今回は気持ちに余裕があったからでしょうか、海がとても身近になった事を身体全体で感じ、海の精霊に逢えた様な思いが、Hと繋がっている幸せを手にした気持ちにさせてくれました。

 春爛漫の油壺で、ウグイスの声を聴きながらの、昼食のなんと美味しかった事。最高の手作りの味に感激!御馳走様でした。

いつも頼もしい船長、私の憧れの素敵な奥様(カウンセラー)の御尽力のお蔭で、心の籠った一周忌が出来ました事を感謝、本当に有り難うございました。

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2004年4月21日

イルカと共に永遠に・・・12(名残の桜、油壺とお花見弁当)

 4月9日、暖かい日和となり、最後のお花見に間に合うかも、そんな期待も乗せて、Tさんたちをお乗せした。

 去年の4月10日に息子Hくんのご遺骨を海に還されたTさん姉妹だ。1年経つので、同じ海にということで、お天気をうかがっていた。希望の8日も7日もだめで、本当は、9日は嫌とおっしゃっていらしたが、10日11日とスケジュールが詰まっていて、天気が良さそうなので、9日ということになった。

 Tさんたちは、船に乗るのは三度目である。どうしてもイルカに会いたいとお探しになるのだが、こればかりは中々うまくいかない。去年も書いたが、息子さんがイルカとだけ心が通じていたようだということで、ご遺骨を海に還されたのだ。Tさんと私たちは、イルカを探して、相模灘を走り回った。残念ながら、今年はまだ全然見ていないし、見たと言う情報もなく、結局遭遇はできなかった。

 そして、江ノ島沖の散骨海域まで走る。Tさんは、遠くに赤い鳥居が見えたのが印象的だったという。名島の鳥居である。緯度経度、同じ場所に着く。去年と同じ曲、「G線上のアリア」、ピンクレディの若いときの「UFO」、そして「ユーモレスク」。Tさんは、「この曲を聞いていつも寝たの」とおっしゃり涙する。用意したトルコききょうとお庭からお持ちになった花々を海へ還す。

 少し風が出てきた。これからは、少しピクニックの感じで、油壺へ入る。桜は大分散ったらしいが、まだ大丈夫。でも海一面の桜の花びらは今年もまた見られなかった。この海面の静けさはやはり、平日に限る。

 この入り江を独占して、お弁当を広げる。今年は陸の上のお花見に行けなかったので、この日をチャンスと早起きして、バラちらしを作った。とっておきのお重に詰める。

 船長が食いしん坊なので、いつも乗せる具がどんどん増えてしまう。うに、いくら、まぐろ、帆立、カンパチ、鮭、あなご、ベースのご飯の具はインスタントでも、かなり豪華になる。
そして冷やした白ワイン。Tさんとは、故郷(東京・神田)が一緒、中学も同じですっかり意気投合しているので、もちろん彼らにも食べてもらうつもりで作ったのだ。船長は少し可哀想に、ノンアルコールビールである。久しぶりにのんびり、ゆったりという気分で、油壺の時間を楽しむ。

 さて、問題は帰りである。入り江にいるととても平和で、外の嵐は分らない。嵐というほどではなかったが、風は大分上がってきていて、入り江を出てすぐの場所の波が最悪。Tさんたちもちょっとびっくりしたようだ。三崎港までかなり揺られて、港内を抜ける。それから剣崎沖も波が悪い。それでも東京湾に入ってからは、少しよくなりホッとする。

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2004年4月21日

春の日に、お天気万歳!!

 こんな良い天気に海に出られるというのは、なんて素敵なことだろう。1年に何度もない最高の海日和、船日和。陽気は暖かく、風はない、波もない。ヨットの人には、辛いかもしれないが、ボートには最高の海である。それも日曜日。

 そしてこんな日に散骨できる人は、本当にラッキー。船がそれほど好きでない人でも、ずーっと乗っていたいような、気持ちの良い水の上、大海原。

 しかし、皮肉なことにこの日お乗りになった方は、ヨットに普段から乗りなれていて、一級免許も持っているという船に強い人で、あまりの静かな海に彼としては、少し物足りないようでさえあった。それでも片道2時間半の航程、私たちは往復であるから、静かな海が一番。

 浦賀を出て、相模湾、江ノ島を越え、烏帽子岩を見る。今回の依頼者は、この付近が亡きお父様との思い出の場所ということだった。一緒に散骨なさるご兄弟、親戚の方は、みな船に弱く、平塚新港からの乗船だ。

 この新しくできたハーバーは、36億円かけて作られたという立派なマリーナなのに、ほとんど使われていない。繋留をまだ一般には、募集していなくてその目途も立っていないらしい。このハーバーの欠点は、相模川の河口にあるため、水が汚いことと、風向きによっては、入り口に大きな波が立つことである。

  さて、平塚新港には、ご親戚の方が数名いらしていたが、みなさんお見送りということで、お乗りになったのは、最初から乗っていたHさんを入れて3名だった。ここから、江ノ島沖までは30分足らずである。

 Hさんのお父様は、かなり準備周到に家族に散骨してほしいと言っていたらしく、お宅に伺うと、額に入った遺言が飾ってあった。地位のある方の場合、密葬にするのは、ご家族の方が大変で、結局、多くの弔問客を迎えることになる。Hさんの場合も、ある程度立派な葬儀にせざるをえなかったようだ。

 この素晴らしい海日和は、散骨時にも一層の効果を上げてくれる。静かで油を流したような水面に、色とりどりの花が、絵のように漂い、その中を、水溶紙からこぼれ出たご遺灰が青白く水底に向かい、進んでゆく。それは、なんとも神秘的で、私も今回が初めての体験である。

 引き込まれて行きそうな清くフラットな水面。背後には、讃美歌の合唱が流れる。そして大好きだったという日本酒も海へ。これは本当に素晴らしいエンディングで、故人にとってもこれ以上はないと思う。

 Hさんの妹さん母子も、このお天気に、船の乗り心地がすっかり気に入った様子。ずっと浦賀まで乗って行きたいとおっしゃっていたが、その後皆さんとの会食の予定で平塚に戻った。下船される頃になって、またまた偶然の縁、Hさんは、私(カウンセラー)と同じ高校の卒業生でクラブの先輩の級友だった。また話が盛り上がり、名残を惜しむ。

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2004年4月16日

偶然の一緒・・・3

 4月1日の合同散骨に参加された、Sさんからお手紙を頂きました。散骨依頼書の一部と共に、承諾を得、掲載します。

 散骨依頼書
 「散骨の動機」 
 1993年8月、故郷、愛媛県に納骨の際、分骨をいたしました。それから10年、心ゆくまで供養して参りました。そろそろ大好きだった海に、という心境です。

 「どのような雰囲気をご希望ですか?」
湿っぽくならず、穏やかな雰囲気で散骨が出来たら、有り難く思います。

 「故人の人柄、思い出など差し支えなけれは・・・」
 過労死だと思っております。商社に入社し、海外生活17年、仕事が楽しい、寝る時間がもったいない、疲れを感じない、と申しておりました。歯科医に通った程度で大変健康でした。海に面したアパートメント(ポート モレスビー市 パプア ニューギニア国)で亡くなりました。くも膜下出血、即死でした。

 

 この度は、大変にお世話になりました。綺麗なお花を御用意して頂き、心のこもった、行き届いた一連の流れに、感謝申しあげます。
 お蔭さまで、11年目にやっと区切りがつける事が出来ました。いつの日か又、海に会いに・・・と思っております。
 立派な、証明書も有難うございました。厚く、御礼申し上げます。
                                    かしこ

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2004年4月14日

偶然の一緒・・・2

 Fさんの奥様からの手紙を頂きました。承諾を得、掲載します。

 

 拝復
 先般の合同散骨式では、大変お世話になりました。また、本日、散骨証明書が届きました。ありがとうございました。

 「散骨すること」は主人の希望でありましたが、遺骨との別れが近づくにつれて、哀しみが増していきました。しかし、散骨当日の晴れやかな天気の中、城ヶ島沖まで行って下さり、綺麗な海へと遺骨を還すことができ、家族全員が「良かった、本当に良かった」という思いになりました。また、主人本人も、きっと喜んでいるに違いないとおもいます。

 船長様、奥様(カウンセラー)、想い出深い散骨式をプロデュースしていただきまして、本当にありがとうございました。そして、同乗されておりましたご婦人、葬儀業者様にも深くお礼申し上げます。

 立ち会いました家族全員がそれぞれ「自分の遺骨は散骨してほしい」と思っております。今後とも宜しくお願い申し上げます。
                                敬具

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2004年4月14日

偶然の一緒・・・1

 4月の合同は1日だった。エイプリルフールが気になったが、その日に決めてしまった。

 参加したSさんは、10年前に旦那様を外国で、くも膜下出血により亡くされていたが、その日が旦那様の誕生日だった。異国での突然の旦那様の死は、大変なショックだったと思われる。10年間ずっと供養し、引きこもっていたという。お一人で参加され、ご遺骨を無事海にお還しし、やっとお気持ちが吹っ切れ、これからはいろいろ外へ出て行けそうだとおっしゃった。

 もう一組参加されていたFさん母娘、Fさんのお嬢さんであるAさんご夫婦。お父さんっ子で、可愛がられて育ったというAさん、ご遺骨と別れる前の日は、辛くて骨壷を抱いて泣いてしまったという。お預かりして帰った日も、お電話があり、他の人の骨と間違えないか心配で、とおっしゃっていらした。

 お父様は、曲がったことが大嫌いなまじめな方で、派手なことも嫌いだったという。2年半の闘病にも最後まで頑張り立派だったらしい。Aさんはお父様の思いでの曲として『同期の桜』をリクエストされた。「鶴田浩二さんので良いですか」と、お聞きすると、「他の人に迷惑かも知れないから小さく流してもらえればいいです」とおっしゃった。

 城ヶ島を過ぎ、散骨海域に着き、鶴田浩二の「同期の桜」が流れた。それは、偶然にも同乗したSさんにとっても想い出の曲だった。亡き旦那様が鶴田浩二のファンで、結婚した頃に二人で、彼のコンサートに行ったのだと言う。そのときのオープニングの歌が「同期の桜」だったのだ。旦那様のお誕生日にそれも最高のプレゼントの一つだったかもしれない。パプア・ニューギニアで亡くなられたというのもその曲には縁が深いような気もする。

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2004年4月14日

大根の花とキャベツの花

 都会育ちの私(カウンセラー)にとって、畑の作物の育っていく過程を見ることは、とても興味深いことだ。今まで何の疑問もなく食べていた野菜の一生を思いがけず知ることになった。

 三浦半島は、向の房総半島に比べ、かなり小さく、その気になれば、隅々まで歩けてしまいそうである。最近、やっと本気でウォーキングをするようになった。1時間から3時間、朝だったり、午後だったり、空いた時間に歩くようにしている。今は春を見つけながら、海を見ながら、アップダウンの激しい道をスタスタと歩いている。

 しばらく車ばかり乗っていて歩かなかったので、坂の登りは本当に辛かった。元から船長は歩くのが早く、一緒に歩くといつも小走りでなければついて行けなかったが、今は写真を撮りながら歩いているので、そのときに追い越して、時間を稼ぎながら必死に畑道を歩いている。

 有名な三浦大根はもう終わり、今はキャベツの取り入れに忙しく、西瓜の植え付けが、七月中旬の収穫を目指し始まっている。三毛作の畑は計画的なのか、根菜、葉もの、実のなるものと違う仲間が植えられている。野菜の花を見ることもあまりなく、その時期も考えたことがなかったが、大根もキャベツも花を見ることがないのが普通なのだということもここに来て気がついた。

 なすやトマト、きゅうりは昔、家庭菜園で作ったことがあり、花も知っていた。花が咲いて実が成るのだから。しかし、大根は、根を食べ、キャベツは葉を食べる、当たり前のことだが、花は必要ないのだ。今、収穫されなかった大根やキャベツの花が不思議な景色を作っている。

 立派な大根の上に白い可愛い花が咲き、キャベツもキャベツの玉の中から茎がでて、薄い黄色の花が咲いている。最近は、種も自分の畑で作らず、買ってくるので、花は本当に無用なのだ。

 路傍の花や、木々の新芽の緑と共に、鳥の声も歩く楽しみの一つだ。ほとんどの鳥は名前も知らない。分るのは、とんびとウグイスくらいで、今はウグイスの鳴き声が面白い。いろいろな啼き方がある。上手なのも下手なのも声の良いのも悪いのも、ホーホケキョ、ケキョケキョケキョ、ピィーピィーケキョケキョ、クゥクゥクゥケキョ。本当に飽きることがない新緑の半島のウォーキングである。

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2004年4月14日

桜の海、瀬戸内海松山沖で・・・5

 Oさんからお手紙を頂きました。了承を得、掲載します。

 

 先日は散骨証明書と共に、沢山の写真を御送り下さいまして有がとうございました。何よりよい記念になります。本当に嬉しく頂きました。

 よい天気に恵まれ、無事に散骨をすませる事が出来まして、一重にみな風様の御尽力のおかげと、厚く御礼申し上げます。

 不可能とあきらめていた桜が整いましたことは、私には無上の喜びでございました。去年、告別式の日も満開の桜の下を参りました。「桜に錨」の誇りを持ち続けた夫に、この上ない贈り物が出来たことを私は本当に嬉しく思いました。

 お骨の包みが、またたく間に見えなくなり、胸いっぱいの喪失感に涙がこぼれましたが、桜の花がずっと波間に漂っていて、印象的な別れでございました。

 四国の方々の、本当に暖かい人情に接する事も出来まして、よい旅をすることが出来ました。重ねて御礼を申し上げますと共に、どうか私の時も、よろしく御願い申し上げます。

 御忙しい日々と存じますが、何卒御体大切になさいまして、ますますの御発展をお祈り申しあげます。有がとうございました。

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2004年4月14日

桜の海、瀬戸内海松山沖で・・・4

 Oさんの書かれた、散骨依頼書の一部を、了承をいただき掲載します。

 


 「故人の人柄、思い出など差し支えなければお願いします。」

 昭和18年10月、18歳で海軍飛行予科練習生として、松山海軍航空隊に入隊。きびしい訓練と数々の試練に耐え、死線を乗り越えて、昭和21年7月、復員するまでの経験が、こらからの60年近い人生の基礎になっているとおもわれます。

 「時代」とはいえ、これは本当にすさまじい変化の世を生きた人々の一人です。本人の希望も勿論ですが、幾多の戦友の待つ海に還らせてあげるのが、一番良いと信じております。

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2004年4月11日

世界中の海が母の墓

 九十一歳で亡くなった、Mさん(67歳)のお母様は、昭和17年、夫に先立たれ、当時としては珍しい、服飾デザイナーとして活躍されていました。母一人、子一人の家庭でも賑やかで明るかったと、Mさんは仰っていました。大学を卒業し就職の時、母子家庭がネックになったときも「負けるな・・・」と励ましてくれたと静かにお話してくれました。ボケが始まり老衰で亡くなるまで、看護した様子をお聞きし、私(船長)も涙しました。承諾を得、頂いたお手紙を掲載します。

 

 返事が遅くなりました。先日はありがとう御座いました。天気が良ければ、もっと良かったのでしょうが、「自然」という感じが裏切られず、想い出深い日でありました。

 自然界では、動物も植物も、死んだあとは、他の生命のために死体を役立てるのが普通で、人間のみが、想い出のために、このルールを破っているような気がするのです。

 死体を焼くことでさえ抵抗があるのですが、あまりにも人間が増えすぎて、自然のルールに従うことでさえ、非自然的になったのかなと思います。

 いずれにせよ、私の母の骨の成分は海に還りました。今後どこの海でも、海を見れば母を思い出せるでしょう。世界中の海が母の墓なんて、素敵なことだと私は思って居ます。

 これからも、お元気で、このお仕事を続けていって下さい。重ねて、有難うございました。

 私たち夫婦は、一緒に散骨してほしいと娘に言ってありますので、その時は宜しくお願いします。(Mさんの奥様から)

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2004年4月11日

桜の海、瀬戸内海松山沖で・・・3

 そしてすべて整い出港。抹茶色の海は、波もなく穏やかに、海軍松山航空隊の跡、松山空港沖を目指して船は進む。飛行機の誘導灯が二本、沖に見え目印になる。

 Oさんが持っていらした音楽は、ショパンの『軍隊ポロネーズ』だった。そして南アフリカ産の赤ワイン。かつて商社の駐在員で、ご家族で南アフリカにいらしたという。

 水溶紙に包まれたご遺骨は人数分に分けられ、やはり水溶紙に書かれたメッセージが付けてある。船縁からそれぞれが思いを込めて、ご遺骨を海に還す桜の花を添えて。

 桜、桜、桜、海の上の薄桃色。奥様は、18歳の旦那様の写真を持っていらしていた。詰め襟、七つボタンの短い上着、まだあどけなさをのこした、キラリと光る目の紅顔の美少年だ。

 すべての思いが海に溶ける。春の陽射しが暖かく優しかった。

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2004年4月11日

桜の海、瀬戸内海松山沖で・・・2

 希望の花の欄には、「さくら」とあった。依頼を受けた時点では、桜の早い開花は、予測されていなかった。でも、手に入らないこともないかもしれないが、難しいなと思い、無理かも知れませんとは断っておいた。だんだん段取りが整うにつれ、やはり、桜だなーと思い、何とかならないか、いろいろ考え、調べてみた。

 東京から持っていくのは、難しいので、松山の花屋さんを当たることにした。インターネットで探し、便利そうな所で、便宜を図ってくれそうなお店を何軒かピックアップし、電話を掛けてみた。OKである。瀬戸内海、松山空港沖、海に浮かぶ桜、その美しさが目に浮かぶ。

 問題は天気だけである。船は1日しかチャーターできなかった。その日がダメな場合、何とかできるだろうか。Oさんも最悪の場合、乗らないで見送りだけでもいいです、と言ってくれた。私と船長だけなら、少々の時化でも、船さえ出してくれれば、何とかなりそうだった。

 そして当日、羽田から松山へ向かう飛行機の窓からは、三浦半島、湘南の海が本当に地図の通り、でももっと美しく見ることができた。感動である。天気は、文句なしの快晴。日本列島を見下ろしながら、瀬戸内海の上に出る。島、島、島、そのいろいろな形、潮の流れ、とても見飽きることがない。

 空港に着くと気温は、暑いくらいだった。レンタカーを借り、花屋さんに向かう。注文のときに、くれぐれも咲いている桜が欲しいとお願いしておいたのだが、前の日に確認の電話を入れるとあまり咲いていないという。でも、陽気が暑いし、大丈夫でしょうという。それでも多少心配で、必ず咲いた所が欲しいと言っておいたのだが・・・。

 さて、花は? 初めての土地、初めての花屋さん、意思の疎通は難しかった。「まだ、あまり咲かなかったんです・・・」と情けなさそうな顔。仕方なく店内を見渡し、種類は違ってもいいから、とにかく注文外でも咲いているのを皆下さい、とかき集めることに。一般的には、花屋さんは、花が持つように、蕾や咲き始めのものを扱う。咲ききってしまったら、もう売り物にしにくいのだ。百合なども、いつも蕾が多くて苦労するのだが。

 どうにか桜の大きな枝を車に積んで、船の出る港へ向かう。岩壁に車を止め、大急ぎで、花の用意をする。籠に花の部分だけを枝から取っていれるのだ。たくさんの蕾も入れることにする。とても持っては帰れないから、捨てることになってしまうからだ。すぐOさんたちもタクシーでやって来て、花の用意を手伝ってくれる。お孫さんの女の子たちがとても可愛らしい。

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2004年4月11日

桜の海、瀬戸内海松山沖で・・・1

 今年の桜も早かった。今年もというのは、去年もと言うことではなく、一昨年の話である。2002年の3月、私(カウンセラー)の母は、桜の開花を見ずにして、桃の節句に亡くなった。母の誕生日の次の日であり、75歳になったばかりだった。

 庭の一角に「桜の園」と呼ばれる森がある東京病院のホスピスに入院して2週間目のことだった。亡くなってから10日もしないで桜が咲いた。1日でも早く咲いて欲しいと願っていて、例年より大分早く咲いたのだから、祈りが通じたような気もしたが、それでも間に合わなかった。

 Oさんからのご相談があったのは、去年の秋のことだった。本当は、松山で散骨したいのだけど、でも海はつながっているから、相模湾でもいいかしら。と、悩んでおられた。それから数ヶ月、やはり松山で散骨することになった。

 亡くなられたのは、Oさんの旦那様で、その昔、予科練に志願し、松山の海軍航空隊に入られたという。特攻隊の生き残りだった。多くの仲間が死んでいくのを見て、そのことが生涯忘れられいと奥様に語ったそうだ。

 戦争中に青春時代をすごし、厳しい訓練に耐えた松山が、やはり旦那様を還すにふさわしい、そして春休みなら、九州に住む孫たちも来れる、Oさんはそう思ったのだ。

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