お客様の声(風の日誌)

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2008年3月

2008/03/11 午前と午後の天国と地獄

2008年3月11日

午前と午後の天国と地獄

3月9日、何と言う1日だっただろう。長期予報から、3日前くらいの予報になっても、その日は最高の1日になるはずだった。

しかし、前日になって、午後から風が強そうだ、という予報になった。それでも午前中、無風ならお昼は、何とか大丈夫だろうという見込みだったが、三崎港を出た船は、予想以上の高波と強風に翻弄されてしまった。

この日は、3つの散骨が重なり、前々日から準備をしても前の日はほとんど眠れず、準備も午前3時半から始まった。6名様分のお花が大変なのである。生ものであるからなるべく直前に準備したいが、何百の花をそれぞれの希望に分けて用意するのは、一種の格闘技である。それなのにぎっくり腰になり、湿布と飲み薬、座薬、コルセットを頼り大奮闘。

委託の方は、赤いバラやカネーションの方と桜を入れて欲しい方。合同の方は、白一色が良い方とフリージャーを中心の方、そして個人チャーターの方は、蘭を中心の方とカスミソウや小花でというご希望の方。

早い時間の方から取り掛かり、最後の時間のOさんの小花が残った。実は小花が一番大変なので、悩んだが花も弱いので、お昼までそのままにして置いた。 最初は、Kさんのご主人の葉山での散骨である。Kさんは、アメフトのコーチもしていらした方で人望があり、友人など14名が参加された。

9時半からの予定は、少し遅れてスタートしたが、晴天に穏やかな海、江ノ島の後に富士山も大きく見え、「マイ・ウェイ」「北国の春」「川の流れのように」「千の風になって」など故人に因んだ曲を流し、和やかに終わった。

その間、船長はオンディーヌVIIを三崎へ向け、剣崎沖にて委託散骨を進めていた。委託の方は、横須賀の方と名古屋の方で、それぞれ「磯節」と「ショパン」をお掛けし、ウィスキーと八海山で供養した。桜は、やはり咲いているものが難しく、桃やピンク系のストック、スイトピーを混ぜさせて戴いた。

私は午前の散骨後、葉山から陸路を移動、三崎港へ向った。心配したとおり、道は混み、午後の合同散骨にギリギリ間に合った。食事などする暇はない。三崎に着くと港の中もいつもより波がある。嫌な感じである。予報より早く風が上がっていたのだ。

合同散骨に参加される2組のご遺族4名が乗船し離岸。港の堤防を出たとたん物凄い波である。船の舳先は上がり、次の瞬間波に突っ込む。まるでロデオの暴れ馬、キャビンの本やテーブルの缶コーヒーなどあらゆるものが動き回り落ちてくる。ご遺骨だけは何とかしっかり、お守りしなければならない。

たいていの場合、港のすぐ外が浅く波が悪いのだ。だから出てしまえば、ある程度、沖へ行った方が良い。Kさん姉妹は、お母様の散骨にいらしていたが、妹さんは、すぐグロッキー、お姉さまは何とか頑張り、散骨をなさったが、その後、船酔いでダウンされた。

もう1組の兄妹の方は、船にお強くて、しっかり散骨なさっていた。猛烈な波風の中、Kさん姉妹のリクエスト、ロシア民謡「ステンカラージン」がよくマッチしていたとは、船長の感想だ。

その後のリクエスト、サッチモの「キャバレー」は、明るく優しく温かく、この場の悲壮感を和らげてくれる。その恩恵を蒙りたくて、次の曲「ばら色の人生」も流す。

私も久しぶりの時化の海に、しばらくブルルが、何とか動き回る物たちを押さえながら、次のOさんのお花も準備した。

荒天の海で港ほど有難いものはない。それでも風向きによっては、入れない港もあり、入れる港を探すこともある。三崎港では、さっきまで繋留していたレジャーボートたちが、早々に引き揚げ岸壁は空いていた。合同の方たちが下船し、次のチャーター散骨の方の対策を考える。

結論は無理。三崎まで来ていらしたOさん母子とお祖母様、船に乗って戴くが、事情を話し来週に延期する。

私も母港の浦賀まで乗るのは、ちょっと辛く、陸路を帰ることにした。よって、船長と助手の富澤さんが荒海の中、剣崎を越え、浦賀へ向った。

1時間半後、帰港したオンディーヌVIIは、ジブセールが破れ、水道ポンプが壊れてしまった。でも、船長は、「なかなか楽しかった。この船は、荒天に強く凄くいいよ。」とのこと。

好んで荒れた海には出ないが、途中で荒れてしまえば仕方がない。船が信頼できれば、それなりに暴れる海も面白く、そのスピードは、楽しくもあるのだ。

私も臆病だから、最初は怖がるが、30分も乗っていれば、慣れてしまう。恐怖とは、そういうメカニズムなのだとこの間テレビで聞いた。でも、船酔いする人には、地獄かもしれない。

苦労して用意した小花たち、カスミソウ、2種類のマトリカリア、忘れな草、デルフィニウム、一重のストック等などは、帰路、船長が今まで海に還った方々のご供養に海にまいた。

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