お客様の声・風の声 2010年2月
2010/02/04 グリが逝って
2010/02/04 サッチモの曲と明るい海
2010年2月4日
グリが逝って
グリが死んで、四九日が過ぎた。未だに家へ帰るとき、一瞬グリが待っていると思ってしまう。
しばらく、この日誌に書くことを止めていた。特に飼い猫のことを。なんとなく、プライベートなことを書くことが躊躇われていたのだ。でも、今年から、再開し、できるだけ書こうと思う。しかし、近々始めるブログで忙しくなるかも知れない。
さて、グリのことに戻る。彼の本名はミスター・カナディアン・グリズリーベアー、バンクーバーの生まれである。随分昔の日記にも書いたかも知れないが、6匹兄弟の雑種の猫を生後1ヶ月で貰った。ヨットでバンクバーバーにいるときである。一家5人ヨットで南太平洋を廻り、東京に来た家族から、どうしても貰ってくれといわれ、断れなかった。無類の猫好きであるから、見てしまえば弱い、狭いヨットの中では可哀想だと思い悩んだが、保健所へ行くよりいいと思い貰った。
グリは、一見ロシアンブルーのようで、その腕白さが子どものグリズリーベアーのようでその名がついた。兄弟猫とじゃれて格闘しているのが楽しい盛りに連れてきたので、とにかく噛む癖が直らず、いつでも人の手や足に噛み付いていた。そして私たちにも船にもすぐ慣れた。港を離れた最初の航海では、早速船酔いし、慌てて自分のトイレへ駆け込み吐いてきた。しかし、それ以来、もう酔わなかった。乱暴物ではあったが、順応性があり、トイレや爪とぎなどは決められた場所を守り、ハーネスを着け、繋がれることもリードで散歩することも嫌がらなかった。
それから16年、随分いろいろな場所へ旅し、住んだ。私たち夫婦にとってなくてはならない存在になった。糖尿病になってからもいい獣医さんに恵まれ、6年も頑張ってくれた。互いに犠牲になったり、犠牲にしたり、こんなにコミュニケーションがとれる猫はいなかった。彼の気持ちは良く分かるし、私たちの気持ちも良く分かっているようだった。
朝晩インスリンの注射をするため、遠くに旅行したりできなかったが、家に帰り、グリの側に座ったときが一番癒された。
晩年、彼は少しでも長く私たちと居ようとした。帰って来るのが待ち遠しかったようで、帰るとよく主人の部屋をノック(前足でドアをカリカリして)し、入り浸っていた。亡くなる4日前、夕方いつもより遅くなって家に戻るとグリは瀕死状態だった。水曜日で獣医さんは休みで居ないと思ったが、電話をすると運良く先生が出て、時間外だったが連れて行き処置してもらった。
奇跡的にその日は回復し家に帰り、食事までしたのに、次の日の夕方、病院で大暴れをして、それから次第に元気がなくなり、2日間頑張って逝ってしまった。
彼の遺灰は、一部テディベアーの中に入り船に座って居る。残りは来年、バンクーバーの海に還したい。
グリほどいろいろな場所を旅した猫も珍しいと思う。近々そのときのことをブログで書きたいと思っている。
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2010年2月4日
サッチモの曲と明るい海
もう1ヶ月以上も前になるが、12月23日クリスマスイブの直前の休日にその年最後の合同、委託散骨が行われた。
冬とはいえ、晴れた日の12月の海は空気が澄んで清々しく陽の暖かさがなんとも言えず優しくて、本当に気持ちが良い。富士山も三浦半島からこんなにきれいにはっきり見えるのは珍しい。
この日は、3名様のご遺骨が海に還され、そのうち1組の方がご乗船になった。その方は、亡くなったお義父様のために椿の花と石原裕次郎さんの「北の旅人」をリクエストされた。故人は木に咲く花が好きで、よく裕次郎さんの歌を歌っていたという。椿はお花屋さんにはなく、近所でもまだ咲いてないので、友だちの家の庭に咲く山茶花の花を分けてもらった。
黒沢明監督の「椿三十郎」の映画での椿を川に流すシーンを彷彿としたが、海に浮かぶ山茶花も中々である。
その後、代行でTさんのご遺骨をリクエストの黄色いガーベラと共に海に還す。
音楽は、サッチモことルイ・アームストロングを希望なので「この素晴らしき世界」を掛ける。この独特の人間味溢れる暖かさは、輝く太陽の下、穏やかな波の上でいっそう素晴らしい。
乗っていらした方もジャズシンガーの方だったので、サッチモの曲を更に2曲おまけする。「セ・シ・ボン」「ばら色の人生」、太陽の恩恵を受け、凪の海をゆったりと漂うのに、正にピッタリの曲だ。この一瞬が散骨の素晴らしさを感じさせてくれる。永遠の別れという悲しさのときに、少し心が和み癒される瞬間である。
* * *
12月に委託でお父様のご遺骨を散骨されたTさんから
今年も明けて早1週間がたちましたが、お変わりなくお過ごしのことと思います。お礼が遅くなりましたが、この度は、父博の海洋葬におきまして、大変お世話になりました。
お送り頂いた写真とお手紙で丁寧に葬送いただいた様子が感じられ、私自身水面に浮かぶ黄色の花を船上から見送っている気持ちになりました。りっぱなお墓に納骨してもほとんどは参ることもないのが、本当のところだと思うのですが。
幸い私の住むところは運河に囲まれ、すぐ東京湾を見渡せるので、この彼方に父が眠っているのだと思い、毎日その方角に手を合わせ祈っています。
まだまだ少数派かもしれませんが、前世のしがらみそのもののような墓地に埋葬されるよりは、生命の循環から考えても、とても健全なことと思います。
お陰様で満足いく父の葬送が行われ感謝しております。
では、これから寒さ増々厳しくなる折、お体ご自愛下さいませ。かしこ
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